鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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・堂崎天主堂キリシタン資料館(長崎県五島市奥浦町)-1点〔表3〕同館は1977年に開館し、地域に伝わるキリスト教関係資料を中心に収蔵している。ヴァスールの石版画は福江島に居住するある信徒より寄贈を受けたものであるという。その信徒は堂崎天主堂2代目の主任司祭であったパリ外国宣教会のアルベール・ペルー(1848-1918)より譲渡されたと伝えられる。その信徒一家は教会の支援に熱心であり、ペルーとも交流があった(注9)。ペルーが堂崎天主堂を中心として活動した時期は1888年から1918年であり、その信徒が近隣の久賀島から福江に移住したのが1896年とされる。よって、19世紀末から20世紀四半世紀の時期に輸入されたものである可能性がある。これらの石版画は、パリ外国宣教会が長崎で布教活動に取り組んだ1927年頃までに輸入されたものであると推測される。日本人司祭が1882年に誕生して以降、徐々に日本人司祭の数は増え、1927年に教区の運営は日本人司祭に任された。それまではフランス人宣教師が布教活動の中心となり、日本で手に入らないものを海外から取り寄せるなどしていた。宣教師自身の個人的な遺産が使用されたという記録もあり、ヴァスールの石版画の残存が確認された地域で活動した、ド・ロやペルーもそうした宣教師たちである。2 ヴァスールの画像事業と芸術動向先に記した石版画群のヴァスールへの帰属は、ヴァスールによって著された『中国雑録』(注10)に基づいている。本書は1883年にフランスで出版され、中国とフランスで制作した作品の図版を掲載して紹介しており、長崎に現存する10点すべての石版画の画像をそこに見つけることができる。また、中国における「画像事業」の経緯や中国の芸術に関する調査についての報告も含まれている。本章では、先行研究とヴァスールの著作をもとに、版画に反映される、彼の芸術と事業に対する考えについてみておきたい(注11)。2-1 画像事業の背景ヴァスールが取り組んだ「画像事業」は中国で1868~9年頃に開始され、1871年にフランスに帰国した後も継続された。中国では、上海市徐家匯の孤児院に附属された工房が事業に取り組む場所となった。この孤児院付属の工房は孤児たちに仕事を与えることを目的に設置され、ヴァスールが中国に赴任する前年の1864年に開設されてい― 425 ―― 425 ―

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