を描きこむなど、布教地にあわせた図像を作り出している〔図1〕。一方で、著作や石版画群には、他の画家による作品の構図の借用を確認できるものがある。ここではヴァスールの版画に見られる、過去や同時代の画家の作品と関連性をもつ事例を指摘しておきたい。1-2で報告した堂崎天主堂キリシタン資料館の石版画《最後の晩餐/エルサレム入城/磔刑》には、レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》とイポリット・フランドランの《エルサレム入城》の構図が使用されている。その他に、フランドランの《聖人行列》に中国語のタイトルを付けたものが『中国雑録』に2点掲載されている(注14)。これは木版画である可能性もある。フランドランは19世紀当時のフランスを代表する宗教芸術家として知られていた人物である。ヴァスールは著作のなかで何度もフランドランの名に言及しており、評価していたことがうかがえる。また、著作にはフラ・アンジェリコの《十字架降下》も収録されている。フラ・アンジェリコについては、別の著作においても当時の批評家や研究者たちのフラ・アンジェリコに関する文章を引用して紹介するなどしている(注15)。ヴァスールはフォルムの理想については中国とヨーロッパでは本質的に異なることを指摘する一方で、芸術教育について述べながら、ヨーロッパの芸術のなかで神秘派やジョット、フラ・アンジェリコの作品は中国の画家や公衆になじむものだとしている(注16)。ここでも言及される15世紀のイタリアの画家フラ・アンジェリコは、19世紀中頃のフランスにおいてその様式が宗教芸術のひとつの規範とされていたことが指摘される(注17)。こうした点からヴァスールが当時のフランスの宗教芸術の動向を意識し、事業に反映させていたことがわかる。ヨーロッパにおける過去の様式へ回帰する動きは、その時代に生きた宣教師たちによって中国や長崎などの布教地にもたらされた。それは19世紀にフランス人宣教師によって日本に建立された教会が、ゴシック様式を採用していることにも表れている。3 布教方針と聖画像の創出-ド・ロ版画の独自性3-1 図像の創出と布教方針ド・ロ版画はヴァスールの版画を手本とし、布教に用いるために長崎の大浦天主堂境内の神学校で1875~9年頃に制作された。10種の版木が現存し、主題は布教の際に教義を説明するための5種類の教理図《善人の最期》、《悪人の最期》、《煉獄の霊魂の救い》、《最後の審判》、《地獄》と、教会などの祈りの空間を飾るための5種類の聖人図《イエスの聖心》、《聖母子》、《幼子イエスと聖ヨセフ》、《聖ペトロ》、《聖パウロ》― 427 ―― 427 ―
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