注⑴福井利吉郎「画人伝説の解釈─光琳と破笠」『史林』第三巻第二号、史学研究会、1918年、した地廻り酒問屋鴻池屋の当主である成美による収集も、分家という立場でありながら冬木屋の旧地で美術品収集を行う姿勢に矜持が汲み取れる。すなわち江戸時代後期の冬木屋の存在は光琳顕彰とともに、所蔵や売却を通じ永岡家や松澤家にも影響を及ぼしていた点で重要であると結論することができる。謝辞本稿執筆にあたりご協力いただきました東京国立博物館、MOA美術館、根津美術館、東京大学史料編纂所、東北大学附属図書館、東京文化財研究所、冬木家、個人の御所蔵家に深謝申し上げます。100頁。⑵田島志一編『光琳派画集』第二巻、審美書院、1903年。⑶内田篤呉「光琳デザインの展開」『光琳デザイン』淡交社、2005年、20頁。⑷脇本十九郎「武清縮図」『美術研究』三四号、1934年、19-20頁。近年、本記録に着目した仲町啓子氏は『光琳論』(2020年)で、光琳の画風について明確にした上で、さらに冬木屋がかつて所蔵した「八橋図屏風」、「富士山図屏風」、「松島図屏風」について考察する。これらの作品が抱一による『光琳百図』や武清による『武清縮図』で同順に所載される点を指摘する。⑸牧野宏子「酒井抱一書簡二十二通─永野又次郎と文人たち(6)─」『関東学院大学人間環境研究所所報』十三号、関東学院大学人間環境研究所、2014年、18頁。⑹詳細は以下の論考に詳しい。宮武慶之「江戸時代後期の冬木屋所蔵品と周縁─『宇米廼記』を起点として─」『人文』第二〇号、学習院大学人文科学研究所、2022年、409-428頁。⑺重要美術品で同名作品は二件あり、本稿で該当するのは大原家旧蔵品。⑻岡野敬胤「雨華抱一」裳華房、1900年、86-89頁。⑼島田一郎『冬木沿革史』冬木町会、1926年、19-20頁。⑽詳細は以下の論考に詳しい。宮武慶之「鴻池屋・永岡儀兵衛の周縁─「五節句図」に付属する抱一書簡二通に注目して─」『文化情報学』第一七巻第一号第二号(合併号)、同志社大学文化情報学会、2022年、(印刷中)。宮武慶之「鴻池屋・永岡儀兵衛の周縁(2)─南茅場町における美術品収集の意義─」『文化情報学』第一七巻第一号第二号(合併号)、同志社大学文化情報学会、2022年(印刷中)。⑾高橋義雄著、大濱徹也、熊倉功夫、筒井紘一校訂『萬象録』第二巻、1986年、思文閣出版、70頁。⑿石塚青我「木場冬木家考」『國華』八八九号、國華社、1966年、29-39頁。⒀高原杓庵『茶杓三百選』第二篇、1954年、杓庵刊行会、83頁。⒁川島公之「群鶴蒔絵硯箱《作品にまつわるエピソード》」『美のまなざし展』、東京美術倶楽部、― 32 ―― 32 ―
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