がある。このうち5種の教理図は、お告げマリア修道会が収蔵するヴァスールの木版画のなかにその手本を見つけることができる。ド・ロとヴァスールの同主題の版画を比較すると、構図をそのまま採用してはいるものの、いくつもの変更点が確認される。ヴァスールが布教地の風俗を考慮して中国人を描きこんだように、そうした部分をド・ロが日本の風俗に変更することは当然といえる。ド・ロ版画にはさらなる特徴として、当時の日本の布教状況を反映した描写がある。日本では2世紀半にわたって禁教体制がとられ、キリスト教徒を導く司祭は不在であった。そのなか、仏教徒を装って、キリスト教の信仰形態を受け継いできた人々が長崎を中心に存在した。彼らは来日したパリ外国宣教会の宣教師と接触し、宣教師たちに旧キリシタンの子孫たちと呼ばれた。現在、潜伏キリシタンと称される彼らの信仰形態は、長期にわたる司祭の不在によって変容していた。パリ外国宣教会は異教徒を対象とした活動だけではなく、こうした人々を指導する必要があったのである。潜伏キリシタンたちの存在は布教方針に大きな影響を及ぼし、潜伏キリシタンがいる地域では彼らの信仰形態を尊重する方針がとられたことが指摘されている(注18)。3-2 ド・ロ版画の図像の独自性印刷事業を担当していたド・ロは、潜伏キリシタンが受け継いできたラテン語・ポルトガル語が転化した祈りを収録した祈祷書等を刊行しており、彼らの信仰形態をよく学んでいた人物といえる。ド・ロ版画にはこうした潜伏キリシタンを指導することを意識した描写を指摘することができる。ド・ロ版画の《最後の審判》には、ヴァスールの手本を構図の参考としながらも、蘇った死者のなかに殉教したキリシタンの姿を描くという独自の描写を加えている〔図2〕。彼らは処刑された際の道具ともに描かれており、剣は斬首を、火が付いた丸太につながれている様子は火あぶりを示唆する。信仰のために命を捧げた殉教者たちは、聖性を示す光輪が頭部に描かれており、そのなかには殉教を意味する棕櫚を手にしている人物もいる。彼らは天使に迎えられ、天国行きとされているようである。禁教下では司祭が不在のまま儀式を行っており、潜伏キリシタンたちは司祭の必要性を理解していなかっと宣教師たちは報告している。ド・ロ版画の《善人の最期》には、ヨーロッパ人の風貌を有する司祭が儀式を行っており、視覚的にその必要性を訴えるものとなったと推測される。また、《悪人の最期》には仏壇と神棚が描かれており、当時の宣教師たちが潜伏キリシタンたちにそれらを取り去るように指示を出して― 428 ―― 428 ―
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