注⑴中国のキリスト教の歴史について主に以下を参照。後藤末雄『中国思想のフランス西漸』矢沢利彦校訂、平凡社、1969年:矢沢利彦『中国とキリスト教─典礼問題』近藤出版社、1972年。⑵北京に北堂と称されるフランス・イエズス会の独立した教会を建立した。1775年のイエズス会の解散後は、それまでに在華イエズス会が築いた教会等の施設をフランス系のヴィンセンシオ宣教会が継承した。後藤、前掲書、207-220頁。⑺Les Missions Catholiques: bulletin hebdomadaire illustré de œuvre de la Propagation de la Foi, 1877,いることとも一致している〔図3〕。ド・ロ版画のこれらの描写は、潜伏キリシタンへの布教を考慮した結果、ヴァスールの原画から変更された点であったといえる。長いキリスト教の歴史のなかで描かれてきた同主題が数多く存在するのなかで、日本独自の聖画像となっているといえよう。おわりに本研究では長崎に残されたヴァスール版画とド・ロ版画の残存状況の調査をふまえ、その歴史背景と図像について検討した。近代日本のキリスト教の布教活動において活用されたこれらの版画群は、フランス人宣教師たちによって布教地の状況が考慮されて制作された。ヴァスールとド・ロの版画制作は、油絵などの絵画に比べて安価に大量に制作できるという実用的な点から採用されたといえるが、その図像は布教地の状況を考慮することで独自性が付与されたといえる。⑶漢字文化圏で制作された教理書の方がラテン語やヨーロッパ言語よりも、教理を理解する助けになった可能性があると指摘される。柴田篤『幕末明治期における明清期天主教関係漢籍の流入とその影響に関する基礎的研究』九州大学文学部、1993年、9頁。⑷イエズス会は他の宣教団体によって、適応主義的布教方針が批判されるなか、その主張や成果を喧伝する必要があったことが指摘される。Lettres édifiantes et curieuses, écrites des missionsétrangères par quelques Missionnaires de la Compagnie de Jesus.は、1702年に第1巻が刊行され、1776年までの間に世界の各地で布教に従事した、主にフランス・イエズス会の書簡を集め、フランスで刊行された。⑸雑誌『カトリックの宣教』において、ヴァスールの事業に関する記事が掲載されており、この雑誌がヴァスールの絵を世界各地への配布の仲介役を果たしたと指摘される。原聖「キリスト教絵解き説教の系譜をめぐって」『絵解き研究』13号、1997年、36頁。⑹版画の制作年や所在に関する情報については主に以下を参照。郭南燕編『ド・ロ版画の旅─ヨーロッパから上海~長崎への多文化的融合』創樹社美術出版、2019年。216-217. 原、前掲書、36頁。⑻郭編、前掲書、160-163頁。⑼五島におけるペルー神父の活動と信徒との交流については主に以下を参照。下口勲『福江教会― 429 ―― 429 ―
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