鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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内逍遥と森との間で繰り広げられ、我国における最初の文学論争として知られる自然主義文学論争の「没理想論争」の過程で執筆された。まず森はこの冒頭で、現在のヨーロッパ美術は「没理想派」による成果であるがその主義を受け入れられないと宣言した上で、「没理想派」とはレアリスムや自然主義を指すけれども、それらのいずれも実は「没理想」ではないと述べている。ここでレアリスムと自然主義は区別なく扱われ、この「没理想」主義の始祖をゾラとした。続けて「…その畫に就いての沒理想主義はマネエが油あぶらえ繪を評したる文(LʼEvénement, 1866)にあり。」(注4)と、美術に関するゾラの芸術的主義が表明された『エヴェヌマン(LʼEvénement)』紙連載のサロン評4回目(1866年5月7日発行)の記事「マネ氏」を示唆した(注5)。この「マネ氏」は、1865年のサロンに入選した《オランピア》(1863年、パリ・オルセー美術館)〔図1〕によってスキャンダルを引き起こしたマネを擁護した批評文であり、ゾラによるマネ擁護の嚆矢である。そして、森はこの『エヴェヌマン』紙の連載に基づき、ゾラの絵画に関する主張の要点をまとめた。ゾラは畫を以て術となすを嫌ふ。故奈何といふに、術とふ語には極致を求むるが如き義を含みたればなり。畫は宜しく造化を寫すべし。……然はあれど實際派なりとて、たゞの光フォトグラフィ寫圖のやうなる畫を作り、いたづらに事實を摸倣するは惡し。畫工にはおの其特異なる眼あり、其特異なる性tempéramentありて、これに愜ひたる新しきものを製作するを其本分とす。要するに畫には個人的と實在的とあるべし。個人的なるものは人より來り、實在的なるものは造化より來る。造化は常住にして平等なれども、人は不常住にして變化極なし。美術品は個人の性の地より觀たる造化の一片なり。これをゾラが畫論とす。(注6)これは『エヴェヌマン』紙(1866年5月4日発行)掲載の「芸術の現在」(注7)において、一定である自然を単に摸倣するのではなく、可変的である人間が自身の気質で自然を捉えることで芸術作品は成されるとしたゾラの芸術観と、同誌5月11日号掲載の「サロンのレアリストたち」(注8)でゾラが表明した芸術的定義「芸術作品はある気質を通して見られた被造物の一隅である」(注9)をまとめ、ゾラの芸術観を俯瞰している。また、ゾラが自らの芸術観を語る上で頻出するtempéramentを、森は「性 tempérament」(注10)と表し、強調した。このように森によるはじめてのマネへの言及は、ゾラの芸術観を語る上でのものであり、それはレアリスム・自然主義を指す「没理想主義」という芸術思潮の紹介に組― 435 ―― 435 ―

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