鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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み込まれたものであった。再び森がマネについて触れるのは、明治28年(1895)11月21日発行『日本』に掲載の「雜錄」中の「再び洋畫の流派に就きて」(注11)においてである。これは新聞雑誌上で洋画流派の分類が各々の記者の造語によって一定していないことを受け、黒田清輝らの明るい色調で清新な外光表現を齎した画家たちを「南派(新派)」とし、浅井忠や原田直次郎など明治初期以来の画家たちを示す「北派(旧派)」2つの流派に大別して論じた「我國洋畫の流派に就きて」(同年11月10日発行同誌掲載)(注12)の続編である。正編では、「南派(新派)」をヨーロッパにおけるレアリスム、自然主義、印象主義に準え、「北派(旧派)」をヨーロッパにおける「不朽の大作を世に出して桂冠を戴きたる畫家」(注13)とした。そして昨今の美術記者の風潮は、前者を誉めそやし、後者を蔑ろにする傾向にあることへ苦言を呈したのが続編での主張である。その中で、「南派(新派)」つまり印象派の首領であるマネとそれを擁護したゾラの30年前の発言を、現在の日本における記者の美術批評と比べる意義を認識した上で、「我机邊に西暦千八百六十六年の仏蘭西新聞LʼEvénementあり。」(注14)と、再び『エヴェヌマン』紙の連載からゾラの芸術的定義とマネの個性とを明示した。 ゾラが文中にいへらく。自然を摸倣するは卑むべし。畫中には自然と共に個人的なるものあらんことを要す。畫家はその技巧能く自然を寫すに止まらずして、心身を道に委ね、唯おのれの目おのれの性にのみ適ひたる新しきものを造り出さんことを要す。マネエが特性マネエが個人的なるものは明に視、又嵩に視るに在り。其畫の明さは自然の明さよりも明なる處より手を下すを常とす。マネエがこの特性の崇ぶべきはドラクロアが特性の崇ぶべきに殊ならず。我は古を貶し今を褒むるに非ず。今の人の古に泥みてマネエ等を容れざるを惡むのみと。(注15)森は「エミル、ゾラが没理想」と同じくゾラの芸術理念を前提とし、自然を「〔……〕ブロンド色で見るし、量塊で見る〔……〕」(注16)ことがマネの個性であるとしたゾラの言説に触れた。このマネの特性にゾラが敬意を抱くことは、ドラクロワを尊むことと変わらず、彼は現在を重んじるあまりに過去を否定するなどしないが人々は過去に固執し、現代のマネを受け入れないと非難したことを例えに、森は美術記者たちが一方的に「北派(旧派)」を非難することの理不尽を説いたのである。周知の通り、森は自然主義への賛同者ではない。明治22年(1889)に発表されたは― 436 ―― 436 ―

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