鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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「芸術作品はある気質を通して見られた被造物の一隅である」と言うゾラの基本概念は、印象派以外の流派にも当てはまるとし、賛同した。「小説論」発表時から比べると、『エヴェヌマン』紙の連載に触れた後の森の批評には、ゾラへの歩み寄り以上に、彼の芸術観を理解し、自分のものとした痕跡が明らかである。「没理想論争」のプロセスではじめてマネの紹介がなされたように、レアリスム、自然主義という芸術思潮を巡る論争や批評の中でマネ受容は進んでいった。それは純粋なるマネ受容とは言い難いが、これが我国におけるマネ受容のはじまりである。ただ、森にとってマネは印象派の首領に過ぎず、それ以上この画家について踏み込むことはなかった。じめての批評「小説論(Cfr. Rudolph von Gottoschall, Studien.)」(注17)では、ドイツ文学評壇の権威であったルドルフ・フォン・ゴットシャルの研究に基づいた論文で、反自然主義、反ゾラのゴットシャルと同様の立場を表明している。この基本姿勢が大きく変わることはないが、「エミル、ゾラが沒理想」においてゾラの芸術観を適確に捉え、「再び洋畫の流派に就きて」では更なる深い理解を示し、ゾラの芸術的主義に則って自らの主張を説いた。ゾラのいはく。畫の妙は主として個人的なるに在り。自然めき實相めきたるこれに次ぐ。自然は古今にわたりて變化せず。個人的なるものは作家ごとに殊なりと。ゾラは印象派の名家に許すに、能くおのれが特性に依りて自然の一片を寫し得ることを以てす。然れどもこの言は印象派ならざるもの、亦能くその特性に依りて自然の他の一片を寫し得るを妨げず。(注18)この森の後継として知られ、医者であり小説家、詩人、批評家と多才な顔を持つ木下杢太郎によって、ゾラとマネへの理解は進んだと言ってよい。明治41年(1908)、『方寸』誌上に発表された木下にとってはじめての展覧会批評「公設展覽會の西洋畫」(注19)では、その冒頭より「〔……〕畫家が畫く所のものが自然であるならば、僕が知らむと欲するところは「如何に彼等は自然を観るか」といふことだ。」(注20)と発言し、ゾラの「人間は自然を取り上げ、表現する。独自の気質を通して自然を描くのである。」(注21)という「サロンのレアリストたち」での言説を想起させる。続けて木下は、画家が捉えた自然を再現したものは主観的な感情と関係があると分析し、明らかにゾラの「芸術作品はある気質を通して見られた被造物の一隅である」という芸術観に立脚している。そして森が「性」と訳したtempéramentを木下は「気テンパラメント稟」と訳― 437 ―― 437 ―

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