・絵画にみるマネからの影響上に誇張された対象に見出しうる際立った特徴のことである。」(注40)と説明した。これに基づきテーヌからの引用を解釈すれば、ゾラの「芸術作品とはある気質を通して見られた被造物の一隅である」という芸術理念そのものであると分かる。テーヌの芸術定義を基礎としたゾラの芸術理念は、マネは「簡潔さと適確さから成る」才能で自然を捉え、明るい光で満たされた正確な色調と単純化された量塊の形態によって構成された自然を表現すると解釈した(注41)。このようにマネの「気質」を見出したゾラは、更に主題の物語性などの意味内容を否定し、絵画の純粋性こそマネの革新性であるとした。造形的特徴に立脚したマネの革新性へのゾラの指摘を久米は、「寫實派の文豪ゾラとマ子及ゾラの美術論」において、「單純と確實」を持ったマネを「〔……〕決して哲學家として、或は文學者として彼れを視てはいけない。之を正當に判斷するには、眞の畫工として見なければならない。」(注42)というゾラの言葉で上手くまとめている。テーヌというゾラの芸術定義の源泉から彼のマネ擁護論に言及した久米のプロセスは、ゾラの自然主義を理解する上で適確であると同時に、マネが自然主義を代表する画家として認知されることにおいても極めて有効であった。しかしながら、それと同時にマネの作品は分析されることなく、それらが本来もつ古典作品からの借用と同時代性が共存するハイブリッドな構成や社会風俗の反映などのレアリスム的意味内容はとりたてて解されず、ゾラのフィルターを通した造形的側面への理解のみが進んだことで、受容されるマネ像に一定の偏りが生じたことは否めない。けれども、日本における早い時期のマネ受容は、間違いなく自然主義受容の文脈で成されたのである。では次に、芸術論上ではなく、具体的な絵画の作例に、マネからの影響はどのように表れているだろうか。マネからの影響を日本近代の絵画作品に見出すにあたり、模写とマネ作品から着想を得た絵画の2つのパターンにアプローチしたい。雑誌などの挿図を除いたマネ作品の最初の模写は、洋画家の高村真夫による《マルグリット・ゴーティエ=ラテュイユ嬢》(1879年、リヨン美術館)〔図2〕であろう(注43)。しかしこれまで指摘されていないが、実際には高村だけでなく洋画家の青山熊治もまた、本作を模写している(注44)。彼は大正4年(1915)8月に高村とパリで出会い、10月には共にリヨンへと旅した(注45)。つまり、全くの同時期に描かれた高村と青山の《ラテュイユ嬢》模写が最初期のものと言うことになる。また、マネの― 440 ―― 440 ―
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