鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
453/602

代表作の模写としては、洋画家の熊岡美彦による《オランピア》模写が知られている。熊岡は大正15年(1926)にフランスへと旅立ち、翌年4月5日よりルーヴル美術館にて《オランピア》の模写をはじめ、昭和3年(1928)10月6日に完成させた(注46)。熊岡による模写は、帰国後には何度か展覧会に出品されたものの現在所在不明である。しかしながら、昭和2年(1927)12月1日発行の『美術新論』第2巻第12号に掲載の「マネのオランピヤ模写中の熊岡氏(前)─伊原氏(後)」〔図3〕(注47)の写真から、模写の様子を窺い知ることができる。そして最後に、これまで模写と認識されていなかった作品が実は、マネ作品の部分模写であることを指摘したい。度々芸術論争の只中に置かれた洋画家、山脇信徳の《男女人物像》(1929年頃、高知県立美術館)〔図4〕である。この作品はこれまで、山脇がパリで知り合ったドイツ人夫婦の肖像であると推測されていたが(注48)、彼らは明らかにマネの《カフェにて》(1878年、オスカー・ラインハルト・コレクション)〔図5〕に登場する男女である。渡欧中の模写の可能性も否定できないが、《カフェにて》と異なる配色から、恐らくはモノクロの印刷物を手本としたのだろう。ここで新しく同定したものを含んでも、明治から昭和初期にかけてのマネ作品の模写はわずか10点前後である(注49)。その理由については、熊岡のパリ滞在時の日記から推測することができる。〔……〕殊にマネーのオランピアには少なからず共鳴する點があり、日本で考へて居たものより遙に立派なるを感じた。當時印象派の巨星が彼の傘下に集まつたのも、うなづかれたし、其人物の偉さに、尊敬の念が漫ろに湧き起こつた。 日本ではまだ本統にマネーを紹介して居ない様だが、近頃のあまり信用も置けない、怪しげな作家のものよりも、まづこゝから研究して本流に竿掉すべきだと思ふ。何れマネーについては書きたい。(注50)昭和に至ってもマネの紹介が手薄であると感じていた熊岡の発言は、日本におけるマネ受容の状況を的確に指摘している。現に、本格的なマネ作品の紹介は、明治44年(1911)に刊行された文芸雑誌『白樺』第2巻第4号のマネ特集号であり、森による言及から約20年経過したことを鑑みれば、作品紹介は出遅れたと言わざるを得ない(注51)。続いて、マネから着想を得た作品についてであるが、まずは弟妹のスナップ写真のような微笑ましい情景を描いた石井柏亭の《草上の小憩》(1904年、東京国立近代美― 441 ―― 441 ―

元のページ  ../index.html#453

このブックを見る