注⑴日本におけるマネ受容の先行研究については、以下の通り。(注55)。昭和に入ってすぐ、洋画家の藤島武二が『美術新論』に発表した《オランピア》に関する文章では、「……十九世紀佛國諸大家の傑作と並んで永遠の其神坐を占めて居ました」(注56)とマネは巨匠として明確に位置づけられている。藤島の《オランピア》評は、サロン発表時に批判を受けた理由も明示したいわゆる正統的な作品解説であり、そこではマネはゾラと切り離されている。ゾラと自然主義の文脈から離れたマネ評の流布は、以後、昭和に入ってマネ受容が前進したことの表れと言える。尚、本稿執筆にあたり模写作品については郡山市立美術館館長の菅野洋人氏に、また山脇信徳の作品調査については高知県立美術館にご協力を賜りました。ここに付して、感謝申し上げます。・佐々木英也「日本所在のマネ作品─油彩・パステル・デッサン─」、『国立西洋美術館年報』No. 4、国立西洋美術館、昭和44年(1969)、26~27頁。・高橋明也「日本におけるマネ」、『世界の名画9 マネ』、平凡社、昭和59年(1984)、32頁。・島田紀夫「マネ芸術・解釈の受容─モダニズムからポスト・モダンへ」、『アサヒグラフ別冊西洋編20 美術特集マネ』、朝日新聞社、平成4年(1992)、75~81頁。・中村尚明「伝習の調停者マネ、近世人中の近世人たるセザンヌ─ユリウス・マイアー=グレーフェと木下杢太郎:「絵画の約束」の背後に」、『セザンヌ展』(図録)、横浜美術館/愛知県美術館、平成11年(1999)、165~168頁。・杉山菜穂子「日本におけるエドゥアール・マネ」、『マネとモダン・パリ展』(図録)、三菱一号館美術館、平成22年(2010)、247~255頁。・小野寛子「石井柏亭のマネ受容による絵画観の成立とその影響」、『言語社会』第5号、一橋大学大学院言語社会研究科2010年度紀要、平成23年(2011)、269~284頁。・小川知子「特集15 各論2フランス人画家の伝搬─余り受容されなかったフランス人画家マネと近代日本─フランス近代絵画の巨匠の「マージナル」な受容」、『美術フォーラム21 特集:日本におけるフランス─創造的受容』第23号、平成23年(2011)、醍醐書房、96~100頁。・小野寛子「木下杢太郎のエドゥアール・マネ受容に関する一考察」、『比較文学』第57巻、平成27年(2015)、22~36頁。⑵「〔……〕今日のフランスの多くの文学史家たちはレアリスムとナチュラリスムとを一線をひいて区別しない。」(河内清『ゾラと日本自然主義文学』、平成2年(1990)、梓出版社、7頁。)とあるように写実主義と自然主義の境界線を明確に区別することは簡単ではない。それを踏まえここでは併記したが、本論では美術における19世紀的レアリスムと自然主義の概念に基づき使い分けた。ただし、引用文やそれにまつわる内容についてはその著述家の言及に合わせて写実主義(レアリスム)と自然主義を選択した。― 443 ―― 443 ―
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