ルE》〔図2〕についても、日勝のデッサン帳収録の「搾乳する人物のデッサン」〔図3〕に人物像の引用が認められる。ただし両腕が変形され、牛やバケツと組み合わせられることによって、こちらに背を向けうずくまる肉体労働者風の人物は、搾乳に勤しむたくましい農民の姿に変容している。曺良奎の作品図版は現状《マンホールE》しか確認できないが、他の曺作品からもモチーフや構図の影響が見受けられる。スクラップ・ブックにわざわざ保存していることも加味すれば、日勝初期の画風形成への影響は極めて大きいと考えられる。それも単なる構図や形態の模倣には留まらず、労働者や鉄屑、壁といったモチーフとその無機質な描写を通じて描き出される、社会からの疎外感や孤立感、閉塞感というテーマにまで及ぶものであったと考えられる。田中阿喜良《棺》〔図4〕は、本調査研究の端緒となった作品である。これまでのデッサン帳の分析調査により、《棺》の人物像(棺の傍らで死者を悼む人物)が、日勝中期の代表作《死馬》の下絵と位置付けられるデッサンに模写された形跡を確認した〔図5〕。同デッサンの展開は別稿で詳しく論じたが(注4)、大きくは、(1)馬を描く角度(視点)の決定、(2)馬の傍らに人物を配置し全体の構図を検討、(3)馬と人物それぞれの姿態を個別に研究、(4)再度馬と人物を組み合わせて構図を検討、という流れで展開する。《棺》の「死者を悼む人物」は(3)の過程で模写され、馬の死を悼む農民(日勝自身の姿と解釈できる)として取り込まれるが、〔図5〕から看取される通り、徐々に首や手足が変形されていく。最終的に(4)では「膝を抱える姿」となって馬の横に配されるのだが〔図6〕、のちの本画は馬単独の構図に変更され、人物は排除される〔図7〕。この変更には、できるだけ説明的要素を省くことで強烈なインパクトや臨場感を獲得する目的があったと考えられるが、ここで、このとき《死馬》画面から消えた「膝を抱える人物」がのちの《室内風景》に再び呼び出され、正面向きの座像となって画中にあらわれる、という解釈が可能である。《室内風景》〔図8〕は日勝の自画像として解釈されるが(注5)、かつて死んだ馬を見つめていた男の視線は、ここにいたって、死という観念そのものに移行している、と言えるだろうか。少なくとも人物の成立過程を遡れば、死や死者との結びつきが認められ、画面に満ちる不安感と緊張感をその結びつきから語ることは許されるだろう。《室内風景》に関しては、人物像のみならず、その背後の壁の成立過程においても、別の同時代絵画の影響が認められるのだが、これについては3章で後述する。― 452 ―― 452 ―
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