を汲みつつ結実した、画業の集大成として位置付けられる(注14)。新聞を貼りめぐらせた壁の表現については、2003年からの神田日勝記念美術館の調査研究により、本作制作の前年に発表された海老原暎《1969年3月30日》(1969年、第9回現代日本美術展)が典拠として浮かびあがった。その調査の発端には、両作品の関連を裏付ける証言として、日勝が当時「何かの雑誌か新聞で」海老原作品を見ていたという画家仲間の発言があった(注15)。海老原の《1969年3月30日》は、一見新聞のコラージュのような「だまし絵」風の油彩画であり、新聞の折れ皺や陰影、新聞記事の微細な活字が絵筆で緻密に再現されている。日勝が見たという「何かの雑誌か新聞」は『第9回現代日本美術展画集』と推定され、同書掲載の白黒写真を見たものと考えられる。しかしここで、より重要なこととして、彼が直に作品を観られる環境にあったことが判明した。日勝が1969年に第8回独立選抜展を観覧するために上京したことは述べたが、このとき第9回現代日本美術展も東京都美術館で併催されており(注16)、現地で海老原作品を観た可能性がある。そうすると、《室内風景》ではじめてペインティング・ナイフから絵筆に持ち換えて新聞を描いている事実も、海老原の描法を間近で観察、分析して模倣したものと説明付けられる(注17)。この描法の採用は、実見の機会を得て得られたひとつの成果であり、この点において、《室内風景》はこれまでの作例とは一線を画す希少例として位置付けられる。4.結びにかえてここまで見てきた通り、日勝の14年の画歴の初期から没年まで、さらに展覧会出品作のみならず、小品の風景画やデッサンにいたるまで、そのイメージ形成過程において、先行する絵画の存在が指摘できる。ただし多くの場合、実見はともなわず、印刷物等に複製された小さな作品図版が参照されていた。ここであらためて日勝作品のイメージ形成過程を特徴づけるならば、それは他の画家の絵画という既存のイメージを通して自らの実体験や生活を絵画化するもの、いわば再構築するもの、と言える。日勝にとってのスクラップ・ブックは、彼が当時の美術界を覗き見るための小さな「窓」であったと考えられる。日勝芸術を特徴づける多様な画風の成立背景には、遠い美術界への憧れとともに、独学であったがゆえの様々な絵画潮流に対する鋭敏さがあったに違いない。その試行錯誤は、描くべきテーマやその造形方法を模索するうえで、師や仲間を探し求めるものであったと捉えるべきかもしれない。本稿では、日勝が収集した他の画家の作品図版と制作の関係性に注目したが、日勝― 455 ―― 455 ―
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