注⑴没後50年「神田日勝大地への筆触」展(2020年6月2日~28日:東京ステーションギャラリー、7月11日~9月6日:神田日勝記念美術館、9月19日~11月8日:北海道立近代美術館)は、執筆者が企画立案を担当したことから、本調査研究の問題意識が趣旨や展示構成に反映されており、下記論稿にも調査研究成果の一部を記載した。川岸真由子「神田日勝の生涯とその作品─制作プロセスと画風展開をめぐって」(『神田日勝大地への筆触』展図録、北海道新聞社、2020年4月)、26頁-36頁。川岸真由子「コラムⅠ日勝のスクラップブック」、同書、89頁。作品のイメージ形成過程の問題には、彼が所持していた写真資料の存在も見過ごせない。今後それらを網羅的に扱いながら、あらためて日勝作品のイメージ形成過程の全体像をより俯瞰して捉える分析が必須である(注18)。このたびの調査研究により、神田日勝の造形が当時の美術動向から隔絶した表現ではなかったということが、より明らかになった。今後は作品のテーマや意図を解明するうえで、こうしたスクラップ・ブックの図像や美術雑誌、新聞や写真のイメージの引用の研究をより深めていきたい。⑵1956年、第31回平原社展(平原社美術協会展)に《痩馬》を出品し朝日奨励賞受賞。なおこの《痩馬》の痩せた衰えた馬という画題、馬の姿態やあばら骨の描写は、龔開《駿骨図》(13世紀、大阪市立美術館蔵)を思わせるものがある。⑶鈴木正實『ミュージアム新書4 神田日勝─北辺のリアリスト』(北海道新聞社、1984年)、99-102頁。ここでも曺作品に注目されたが、個別の作品への影響には言及されず、日勝初期の人物の風貌や、自らの生活体験を反映させる制作姿勢への影響が語られた。⑷川岸真由子「《室内風景》の男は何を見つめていたか─神田日勝の場合」(『北海道芸術論評』第10号、北海道芸術学会、2018年3月)、10頁-16頁。⑸冨田章「自画像の画家、神田日勝」(『神田日勝大地への筆触』展図録)、146-152頁。⑹スクラップ・ブックBに収録された作品は次の通り(各誌の号数は割愛)。松田文子《作品》、D. A. シケイロス《自画像(左官殿)》、白藤朱根《空罐と、マリ》、富山妙子《インディオたち》、大沢昌助《青と黒》、山下菊二《“松川裁判”に》、弓座由美《孤独》、菊畑茂久馬《ホワイト・ホース》、三雲祥之助《ヴィナスと侍女》、泉茂《作品》、勝本冨士雄《白い菱形》、西田秀雄《一乗寺》、岡本太郎《坐ることを拒否するイス》、タジリ・シンキチ《She No. 2》、清水鉄弥《存在への確認》、斎藤正夫《飛(霊魂への祝福)》、丹羽和子《対話》、中津瀬忠彦《マドリード》、近藤弘明《湖の夜》、古賀兼吉《ニコヨンの顔》、金子宇宙治《二つの雲》、高井貞二《作品1》、福島誠《作品ʼ62 No. 10》、田中忠雄《ペンテコステ》、K. O. ゲッツ《海の精》、朝倉摂《終りは始め》、吉原治良《作品》、上村松篁《熱帯花鳥》、針生鎮郎《鶏紋》、芝田耕《木のある町》、田中阿喜良《露天商人》、芝田耕《声澗》、石踊紘一《遅れてきた夏》、古橋矢須秀《太陽のような絵》、M. シャガール《緑のろばと女》、R. タマヨ《人物》。⑺例えば当時の『朝日ジャーナル』の特集記事には、「〈総選挙〉民意に関わるべき争点1 格差の是正」、「挫折の階層・青年の疎外現象」、「三池炭鉱災害への視点」などがある。― 456 ―― 456 ―
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