鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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③シャーマン・コレクションの調査と研究─フランク・シャーマンが戦後日本美術に果たした役割を中心に─研 究 者:北海道立旭川美術館 学芸課長  佐 藤 由美加はじめにフランク・エドワード・シャーマン(Frank Edward SHERMAN 1917-1991)は、1945年に来日し、GHQの民間情報教育局に属し、1946年から1950年まで凸版印刷株式会社(以下凸版印刷)で印刷編集の仕事を担当していた。近年まで日本美術史においてシャーマンの名前が登場するのは、1949年の藤田嗣治渡米に関して尽力したGHQ関係者としてのみだったと言ってよい。しかし、実際のシャーマンは、その後も長く日本に滞在し、多くの日本人と交友を続け、日米の美術界と繋がりをもった人物だった。晩年、シャーマンは、長年にわたる日本人との交友を日本語で回顧録にしたいと考えていた。1990年、朝日新聞の美術記者だった米倉守が執筆者に予定され、翌年、シャーマンへのインタビューが実施される(注1)。しかし、同年10月にシャーマンが急逝したこともあり、回顧録の出版は実現せず、それにかわるものとして、1993年に写真集『履歴なき時代の顔写真 フランク・E・シャーマンが捉えた戦後日本の芸術家たち』(以下『履歴なき時代の顔写真』)(注2)が発行され、翌年には目黒区美術館で「フランク・シャーマンと戦後の日本人画家・文化人たち」展が開催される。シャーマンが死去した時点で所蔵していた収集品の全て、絵画、知人からの書簡、大量の写真、各国語の書籍や雑誌・展覧会図録等は、親交のあった河村泳静が継承し、2007年以降、伊達市教育委員会に寄託されている(注3)。藤田の油絵などは生前に手放しており、現在のシャーマン・コレクションとは、河村泳静所蔵(伊達市教育委員会寄託)のものを指し、また、その中には、1993年の写真集及び翌年の展覧会関連資料も含まれている。これらは、戦後の日本美術界を映し出す貴重な資料であるが、藤田嗣治に関連するもの以外は、これまでほとんど公開されたことがない。本稿は、シャーマン・コレクションを通じて、シャーマンの日本での足跡及び、彼が戦後日本美術に果たした役割を明らかにしていこうとするものである。シャーマンとそのコレクションについてシャーマンについては、ここ10数年ほど藤田嗣治や占領下の日本美術に関する研究― 460 ―― 460 ―

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