鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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れる。しかし同時に、《リブレット》が個人的祈念に用いられていたとする筆者の仮説に基づいて考えると、特に中央パネルに手で触れたり接吻したりする場合の触覚性の向上も意図されていたのかもしれない。《リブレット》はシャルル5世が弟に贈ったものであるが、王は実は自らのためにも本作に非常に類似した聖遺物容器を制作させていたことが判明している。残念ながらすでに失われてしまった当該作品は、しかしながらヴェネツィア共和国の著述家マリン・サヌードが纏めた文書抜き書き集『リブリ・コメモリアリ』内の素描によってその姿を知ることができる。この《リブレット》に近似した聖遺物容器がフランス王シャルル8世によってイタリア遠征に携帯され、フォルノーヴォの戦い(1495年)においてヴェネツィア人兵士の手に戦利品として渡った後、最終的にサン・マルコ聖堂の宝物に加えられたという経緯を書いた一節に付されたものである。すでにジェスタズによって本素描は紹介されてはいるが(注4)、刊行された図版では素描内の銘文が判読不可能であるため、筆者はヴェネツィアの州立文書館において同書の実見調査を行った〔図4〕(注5)。先ず当該写本を参照し、次に電子化された図像を拡大し仔細な確認を行なった。この『リブリ・コメモリアリ』の調査は、《リブレット》と《もうひとつのリブレット》とでも呼ぶべき聖遺物容器の比較検討によりその相違を明らかにすること、そして《もうひとつのリブレット》の両翼パネルに収められている聖遺物の情報を得ることによって《リブレット》の両翼のそれらの同定の手立てを探ることを目的としたものであった。この素描は本文と同じ黒褐色のインクで描かれ、上部にはIMAGO PACISという説明書きが付されており、この《もうひとつのリブレット》が15世紀末のヴェネツィアにおいては平和牌あるいは接吻牌と看做されていたことを示す。《リブレット》および《もうひとつのリブレット》の中央パネルには、受難具の形をシルエットで表したいわゆるアルマ・クリスティ図像が配置されており、それぞれの図像がその直下に貼り付けられた聖遺物の身元を示している。ここで両方の聖遺物容器の中央パネルにおける聖遺物の配置を比較すると、まず右上部の、《リブレット》においては奇跡によってイコンから流れ出たキリストの聖血の聖遺物を収める箇所が《もうひとつのリブレット》においては上下に2分割されており、また同じく《リブレット》では中段右、すなわち聖十字架と聖なる海綿の聖遺物の間に位置しているサン=ドニ聖堂由来の聖なる釘の聖遺物が《もうひとつのリブレット》では右上部左に配置されている。その他の聖遺物の配置は両者一致している。《リブレット》では容器上部に蝶番で接続された金板による中央パネルの蓋の両面に、磔刑像と聖三位一体像、男女の跪拝者― 475 ―― 475 ―

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