鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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⑤津田青楓と明治後期の京都図案界研 究 者:渋谷区立松濤美術館 学芸員  大 平 奈緒子はじめに明治30年代、京都の図案は変革期にあった。明治初期から急激に増えた新しい図案への需要に対し、伝統図案を継承していた職人的な図案制作が、画家が独自の感覚をもって図案を制作しようとする機運が高まり、多くの図案集が刊行されることとなった。そして、伝統的図案の閉塞の打破が求められたことから、図案家の個性が表出され、いわば図案の芸術化が進んだ。本稿では、そうした図案家の中から、津田青楓(1880-1978)を取り上げる。津田青楓は、明治13年(1880)に京都に生まれた画家である。明治から昭和という目まぐるしく変化する社会の中で、日本画、洋画、工芸、書など幅広く活躍し、その交友範囲も美術界にとどまらないものであった。彼の長い画業の中で、最初期の仕事として取り組んでいたのが、図案の制作である。本稿では、青楓が明治30年代に京都で手がけた図案集を取り上げ、その図案の変遷と傾向を探る。そして、青楓が兄の西川一草亭と幼馴染の漆芸家・浅野(のちの杉林)古香とともに結成した図案の研究会・小美術会の活動と、機関誌『小美術』に対する批判から、同時代の図案についての考えと、その考え方の違いについて考察する。この時期の図案集に関するこれまでの調査・研究は、樋田豊次郎氏、横溝広子氏編『明治・大正図案集の研究─近代にいかされた江戸のデザイン』(国書刊行会、2004年)や土田眞紀氏『さまよえる工藝─柳宗悦と近代』(草風館、2007年)などがあるが、この時期には、有名無名問わずあまりにも多くの図案家によって図案が描かれ、図案集が出版されていたため、それぞれの図案家や彼らの活動の詳細は把握しきれていなかったのではないだろうか。しかしながら近年、京都・大学ミュージアム連携で京都工芸繊維大学美術工芸資料館と京都市立芸術大学芸術資料館により、明治期の図案教育の実態が明らかにされてきている。また、津田青楓についても、2020年、2021年と続けて展覧会も開催されるなど、現在、注目が集まってきている(注1)。なお本稿での図案の定義は、以下の3点のいずれかに当てはまるものとする。1 工芸品を制作するために描かれた下絵2 何かに応用されることを前提に描かれた絵3 応用されたものに描かれた図柄そのもの― 483 ―― 483 ―

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