鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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⑿BK生「京都図案展覧会の擬賞に就て」『図按』26号、1904年5月、13頁⒀加茂瑞穂「明治期京都における染色デザインの展開─友禅協会応募図案を中心に」並木編前掲─京都時代のデザインについて─」(『大正イマジュリィ』第10号、2014年)および「明治三十年代京都の図案における津田青楓と小美術会」(佐野みどり先生古稀記念論集刊行会『造形のポエティカ─日本美術史を巡る新たな地平』青簡舎、2021年)でもまとめている。和田積希氏「『小美術』─その分析と西川一草亭の果たした役割」(並木誠士氏編『近代京都の美術工芸─制作・流通・鑑賞─』思文閣、2019年)は、青楓らが編集した『小美術』を兄の西川一草亭の側面から分析している。2020年には練馬区立美術館にて、青楓の初めての回顧展「背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和」が開催され、2021年1月からは新宿区立漱石山房記念館で、夏目漱石らとの繋がりから、画家や図案家としてだけでなく、文筆家としての青楓を掘り下げた「漱石山房の津田青楓」展が開催された。⑵津田青楓『老画家の一生』中央公論美術出版、1963年、津田青楓『春秋九十五年』求龍堂、1974年、拙稿前掲書注⑴、喜夛孝臣編『背く画家津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』美術書出版株式会社芸艸堂、2020年⑶籠谷真智子翻刻「【翻刻】花うり日記 西川一草亭」51頁(1906年4月26日の日記)、熊倉功夫「西川一草亭論」熊倉功夫他『花道去風流七世西川一草亭 風流一生涯』淡交社、1993年⑷『美術新報』第3巻第3号、1904年4月、7頁⑸蘿窓抱月子「小美術(第一巻第二号)を見て」『図按』第27号、1904年6月、15-20頁⑹これについては和田積希氏の論考が非常に詳しい。和田前掲書注⑴⑺籠谷前掲書注⑶232頁⑻『図按』第1号、1901年12月、35頁⑼清波「更紗友禅模様に関する図案者」『図按』第2号、1902年2月、11-14頁⑽前田香雪談「図案者の心得べき條項(続)四 七宝の図案」『図按』第6号、1902年8月、1-6頁⑾この後『図按』の編集者である又仙子が京都に行った際に一草亭と古香を訪ね、「多くの趣味を感じ東西の絵画展覧会に就て得調と弱点を語り合い」、『図按』にも寄稿してもらうように話をしたという。又仙子「西遊小記」『図按』第4巻31号、1904年10月、21頁書注⑴⒁高村豊周「或る断面」『工芸時代』第2巻第8号、1927年8月、19頁⒂たけさぶらう「非水と青楓と 図案界月旦(二)」『現代之図案工芸』第46号、1918年3月、49-52頁― 490 ―― 490 ―

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