鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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注⑴部分的に論じられたものは数多くあるが、明解に主題的に論じられた先行研究として、以下の先行研究を参考にしている。井野功一「画で立つまでの須田国太郎 深田康算との関係から」原田平作監修『須田国太郎展 没後50年に顧みる 図録』神奈川県立近代美術館ほか、2012年、164-169頁。齊藤陽介「須田国太郎の芸術論形成 師・深田康算の影響から」高見澤こずえ・土森智典・渡邉絵美・齊藤陽介編『須田国太郎 珠玉の上原コレクション』上原近代美術館、2012年、92-98頁。齊藤陽介「展覧会「須田国太郎 上原美術館コレクションから」報告とその空間表現技法の一考察」『静岡県博物館協会 研究紀要』42号(2019年)、48-61頁。付言すれば、これらの先行研究は、須田と師の深田からの影響関係を述べるものであるが、本論では深田からの影響関係をむしろ弱いものとして捉えた上、西田幾多郎からの影響を考察することを試みるものである。ラーの『芸術活動の根源』を主たる導き手にしているが、須田の場合は、「近代の自然主義と芸術的真理」という論考を、卒業論文においては引いている(注11)。自然主義≒リアリズムを芸術の本質的課題としつつ、しかしながら、素朴実在論的な観点から自然を捉えるのではなく、純粋視覚性に基づく直観的な自然把握こそが、芸術的真理に適う、芸術の自律性に繋がるのであるというフィードラーの基本的なスタンスによって、須田と西田は結ばれている。このように、京都学派の流れの中に、芸術実践と関わる系譜があったことは、日本の近代美術史に対する一視角として確認しておきたいものであるし、逆に言えば、芸術の営みが哲学に漸近する事例として、これもまた京都学派の成果として捉えていいと思うところである。では、具体的な作品の分析に、ここまでの議論を踏まえつつ展開していきたいが、それは他日を期すこととする。⑵この卒業論文については、次の書物に翻刻されている。岡部三郎『須田国太郎 資料研究』京都市美術館、1979年。⑶個展としては成功しなかったとしばしば、須田自身によっても語られる、資生堂画廊での展示において、滞欧中の作品も、少なからぬ点数が展示に供されていたことを確認しておけばよいだろう。この展覧会については、次の展覧会カタログを参照のこと。正木基監修『須田国太郎第1回個展再現展 図録』資生堂文化企業部、1994年。⑷須田国太郎「大正初年の文學部學生の想い出」『京都大學文學部五十年史』京都大學、1956年、490-491頁。⑸藤田正勝『西田幾多郎 生きることと哲学』岩波新書、2007年、76頁。⑹齊藤陽介「展覧会「須田国太郎 上原美術館コレクションから」報告とその空間表現技法の一考察」『静岡県博物館協会 研究紀要』42号(2019年)、52頁。⑺このセザンヌに対する評価については、「セザンヌの美学」(『みづゑ』1939年8月号)、「セザンヌと自然」(『同和』1939年10月号)においても、繰り返し述べられている。両論考はともに、須田没後に編纂・刊行された論集『近代絵画とレアリスム』(中央公論美術出版、1965年)に― 500 ―― 500 ―

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