鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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い作品と位置付けられているフレスコ画である。ルネッタには《キリストの洗礼》が、その下方には、《玉座の聖母子と聖セバスティアヌス、聖ユリアヌス》が大理石の擁壁と付け柱に挟まれているように描かれている〔図3〕。このフレスコ画の祭壇装飾は、1966年のアルノ川の大洪水によって損傷を受け、翌年、壁から剥がされて修復された(注3)。注文主は不明だが、聖母子と聖人の図像は、アントニオとピエロのポッライオーロ兄弟が手がけたフィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ教会にあるポルトガル枢機卿の礼拝堂の祭壇画《聖ウィンケンティウス、使徒聖ヤコブ、聖エウスタキウス》〔図4〕を想起させる。ポッライオーロ兄弟の祭壇画は、遅くとも祭壇画設置のために壁が整えられた1467年には完成していたと考えられ(注4)、したがって、サンタンドレア教会の《玉座の聖母子》の制作年代は、1467年以降と推定される(注5)。一方、ルネッタの構図は、明らかに有名なヴェッロッキオの《キリストの洗礼》〔図5〕を模しており、したがってルネッタの制作年代は、ヴェッロッキオの《キリストの洗礼》以降に位置付けられる。後者の作品の背景右側に見える岩山は、ヤン・ファン・エイクの《聖痕を受ける聖フランチェスコ》の板絵に着想を得ているが、この絵をフィレンツェの芸術家たちが目にする機会があったのは、1471年のことである(注6)。よって、ギルランダイオの《洗礼》のルネッタの制作年代は、1471年以降と考えられる。二つ目の例は、フィレンツェのオーニッサンティ教会右側廊のヴェスプッチ礼拝堂の《ピエタ》と、その上部の《慈悲の聖母》のルネッタである〔図6〕。両フレスコ画は、1966年、大洪水の前後に壁から剥がされて修復された(注7)。本祭壇装飾の当初の建築的枠組みの部分は失われている。J. カドガンは、前述のサンタンドレア教会のフレスコ画同様、コーニスや付け柱のような描かれた建築的要素が種々の場面を一体化した図式へと結びつけていたのだろうと推測している。さらに、《ピエタ》の左右には、下部に風景場面を配した壁龕が断片的に残っていることから、サンタンドレア教会よりも精巧な構成だっただろうと推量している(注8)。しかしながら、両側の壁龕、《慈悲の聖母》、《ピエタ》の場面は残して、建築的枠組みの絵画部分のみが完全に喪失しているのは疑問に思われる。実は、ギルランダイオによるこのフレスコ画は、1616年に漆喰が塗り直され、マッテオ・ロッセッリによる《幼子を祝福するポルトガルの聖イサベル》(1625年)が設置された後、1898年に、その祭壇画の後ろに再発見されている(注9)。1900年代前半に撮影されたギルランダイオのフレスコ画の写真を見ると建築的枠組みが描かれているが、この加筆は1966年の修復の際に除去された(注10)。失われた建築的枠組みとは、フレスコ画ではなく、立体的な、例― 503 ―― 503 ―

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