鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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スコ画は、幕を引き上げて祭壇画を露わにするという一つのエピソードの中で結び付けられ、一体化した祭壇装飾を形成している。同様の祭壇構造は、フィレンツェ県のまち、カステルフィオレンティーノにある《咳の聖母の小礼拝堂》〔図9〕のだまし絵の祭壇画にも採用されている。この道沿いに建てられた小礼拝堂の呼び名は、人々がこの小礼拝堂を訪れ、当時危険な病気であった百日咳にかからないよう祈りを捧げたことに由来する(注14)。小礼拝堂のフレスコ画は、1484年、ベノッツォ・ゴッツォリとその共同制作者たちによって描かれた。祭壇のある中央の壁面には、《玉座の聖母子と聖ペテロ、アレクサンドリアの聖カタリナ、聖マルガリタ、聖パウロ》を表す板絵に見立てた祭壇画が描かれている。祭壇画は古代風の額に収められており、その周囲に描かれた天使たちは、ポルトガル枢機卿の礼拝堂の祭壇装飾のように、祭壇画を覆っていた幕を引き上げて絵を露わにしている。この小礼拝堂の祭壇画が板絵そっくりに描かれたフレスコ画であるのは、おそらく、板絵の祭壇画とその額縁を実際に制作させるよりも経済的だったからというだけでなく、当時、現実によく見かけたに違いない祭壇画とそれを覆う幕をだまし絵として表し、人々を驚嘆させようとする意図もあったからではないだろうか。1460年代から1490年代頃にかけて、フィレンツェとその近郊では古代風の額に収められた四角形の祭壇画が流行していた。上記で取り上げたいずれの作例においても、四角形の板絵の祭壇画は古代風の額に収められており、重厚なエンタブラチュアが存在感を放っている。そのため、祭壇画を取り囲むフレスコ画は連続する一つの空間として表されていながらも、重々しいエンタブラチュアが祭壇画上方の空間との間であたかも境界のように作用するために、祭壇画上方の半円部分は、にわかに独立したルネッタとしての性質を呈している。上述の諸作例では、額のコーニスに沿って空間を区切ることで形成されるルネッタの横幅と、祭壇画の絵画部分の横幅の間には、1.5倍程度の、あるいはそれ以上の差が生じている。通常、額のコーニスはアーキトレーヴよりも少し突き出すように長めである場合が多い。そのため、板絵の絵画面の横幅はコーニスの横幅、ひいてはルネッタの横幅よりも必然的に短くなるのである。筆者は、ラーマ家礼拝堂の祭壇画であるボッティチェッリの《三王礼拝》〔図2〕も、その方形の形態から当時の流行に乗って古代風の額に収められていた可能性が高いと考える。そうであるならば、ラーマ家礼拝堂のフレスコ画のルネッタ〔図1〕が板絵の祭壇画よりも相対的に大きいという事実は、ルネッタ(あるいは半円アーチ)を冠する壁面に描かれたフレスコ画と古代風の額に収められた四角形の祭壇画からなる祭壇装飾の場合、諸作例が示すように、十分に起こり得る事態であり、特別珍しい― 505 ―― 505 ―

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