注⑴Tosi e Uras 2005, Doc. I p. 100.⑵Michael Rohlmann in Firenze e gli antichi Paesi Bassi 2008, cat. no. 4 pp. 94-97. ロールマンは、カレッジにある旧メディチ家別荘から発見されたヴェッロッキオの《キリストの復活》(フィレンツェ、バルジェッロ国立博物館)を表したルネッタのような形をしたテラコッタの浮彫が、同別荘の礼拝堂の祭壇画であったロヒール・ファン・デル・ウェイデンの手になる小振りの板絵《キリスト哀悼》(フィレンツェ、ウッフィーツィ美術館)の上部を飾っていたという仮説を立てている。また、そうした祭壇装飾があり得たことを示唆する事例として、相対的に大きなルネッタを冠する祭壇画からなる祭壇装飾や、さらに絵画の上部に浮彫のルネッタという異種素材を組み合わせた祭壇装飾の例を挙げている。このカレッジの仮説については、可能であれば現地調査を実施し、京都大学に提出する予定の博士論文にてより詳細に考察する予定である。ざるを得なかったのではないだろうか。加えて、ラーマ家礼拝堂の祭壇装飾は、ボッティチェッリの画歴の初期に位置付けられる作品であり、同じくルネッタと祭壇画に相当する部分の人物像の大きさが異なるサンタンドレア教会のフレスコ画も、ギルランダイオの最も早い作品に位置付けられている。すなわち、まだ画家としての経験が浅く、ルネッタと祭壇画の間の人物像の大きさに留意して巧みに調整するほど熟練していなかったのかもしれない。この問題については、より広い作例を収集して精査しつつ、現地での調査を実現し、改めて検討を加えたい(注16)。⑶Cadogan 2000, cat. no. 1 pp. 191-192.⑷Hartt, Corti, Kennedy 1964, p. 162 Doc. 22; Wright 2005, p. 195.⑸Cadogan 2000, p. 23.⑹ヤン・ファン・エイクの《聖痕を受ける聖フランチェスコ》については、同じ構図だが大きさ⑺Cadogan 2000, cat. no. 2, pp. 192-194.⑻Cadogan 2000, p. 37.⑼ヴェスプッチ礼拝堂の変遷については、Cadogan 2000, pp. 192-193を参照。⑽修復前の写真は、アリナーリ写真財団(https://www.alinari.it)のアーカイヴで閲覧することが⑾Zambrano e Nelson 2004, cat. no. 39, pp. 579-584.⑿オリジナルは、現在ウッフィーツィ美術館に保管されており、現地にはレプリカが設置されて⒀Wright 2005, p. 195.⒁Serena Nocentini, in Benozzo Gozzoli 2011, cat. no. 10, pp. 166-168.⒂Hatfield 1976, App. I, 1, p. 117.⒃本研究は、当初、イタリアでの文献史料の調査および実地検分を予定していたが、2020年1月以降の新型コロナウィルスの世界的な感染拡大によって現地調査が不可能となったため、やむの異なる2枚の作品が現存している。詳細は、Panhans 1974を参照せよ。できる(Archivi Alinari, Firenze: BGA-F-011402-0000)。いる。― 507 ―― 507 ―
元のページ ../index.html#519