鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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⑧歌川豊春の肉筆浮世絵に関する基礎的研究研 究 者:大分県立美術館 主幹学芸員  宗 像 晋 作はじめに歌川豊春(1735-1814)は、史上最大の浮世絵一派を形成した歌川派の開祖である。その門下には、初代豊国、豊広といった実力派の絵師を輩出し、豊国門下には国芳や国貞、また豊広門下には広重が連なり、幕末に至っては大いに繁栄した。この豊春の画歴において、特に注目されてきたのは西洋の透視図法を取り入れた「浮絵」である。豊春は明和4年(1767)頃より、江戸で浮世絵師としての活動をスタートさせ、明和・安永期(1764~80)にかけて発表した浮絵版画で名声を得ている。浮絵は、元文~延享期(1736~47)頃に、奥村政信(1686-1764)らによって先鞭がつけられているが、豊春は従来のものよりも破綻の少ない、より自然な遠近法を取り入れ、近景から遠景までの広大な眺望を俯瞰する新しいタイプの風景版画を確立している。豊春の先駆的な視覚は、後代の絵師たちの研鑽と洗練をへて、世界的な評価を得る近世末期の北斎、広重の風景版画を生むことになった。こうした豊春の浮絵については、岡泰正氏、岸文和氏、野村文乃氏らの詳細な先行研究によって、その浮絵の編年や制作背景、図様の典拠、革新性などが明らかにされている(注1)。また豊春はその後半生の画業において、肉筆浮世絵の制作に専心し、美麗な色彩による優美な一点ものの肉筆美人画を多く描いたことが知られている。豊春の円熟期に重なる天明・寛政期(1781~1801)は、勝川春章、鳥居清長、鳥文斎栄之、東洲斎写楽、喜多川歌麿なども活躍した浮世絵の黄金期にあたり、明和期に一世を風靡した鈴木春信の華奢な美人図の様式を脱した気鋭の絵師たちが、その個性的な画風を版画、肉筆画の双方に展開していった時期である。豊春もまた、極彩色による肉筆画を手掛けながら歌川派を牽引し、名手ぞろいの黄金期にその地歩を固めていったといえる。本研究においては、浮世絵師・豊春の重要な芸術的側面と考えられる肉筆浮世絵に焦点をあてる。肉筆浮世絵は、各流派内で図様を流用したレディーメイド的な量産品である「仕込絵」も相当数が制作されたことは確かであるが、著名絵師の直筆の基準作ともなれば、上層武家階級などのしかるべき筋のパトロンからの注文も想定され、その多くは極彩色の上製な絵画作品であり、絵師の芸術的特性や活動の実態をうかがい知ることができる重要な絵画資料となる。本稿では、本研究で把握できた豊春の肉筆浮世絵について、落款形式や用印の傾向、様式的特徴を整理し、作成した「歌川豊春の肉筆浮世絵作品リスト」〔表1〕をもと― 512 ―― 512 ―

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