鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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龍齋”を冠す形式が主流となる。両作品に共に捺された印章は「白筆齋」(朱文太郭方印)と訓める。本印章は、従来、印文が不鮮明なために不詳とされてきたようだが、新出の《松風村雨図》の印文は比較的によく見える。因みに「白筆」とは中国・唐において出世した高官が持つ筆のことを意味するが、既に浮世絵界で地位を確立し、名声を得た豊春の自負心を表しているのかもしれない。豊春の用印については、ある程度の傾向が読み取れ、同じ印章の作品を分類することによって、作品の編年研究に多くの示唆を与えてくれる。前述した「白筆齋」(朱文太郭方印)の印章をもつ2作品と近しい様式を示す作例として《吉原遊女図》(江戸東京博物館no.18)〔図7〕があげられる。赤い間着が透ける孔雀羽模様の夏衣装を着た花魁が、禿を連れて外出する情景を描いている。提灯の三つ柏の紋は扇屋の遊女・容野の替紋とされ、実在の遊女をモデルにした可能性もある(注5)。微細な着物柄にみえる筆のタッチは丁寧であり、遊女の間着や禿の帯の鮮やかな赤を基調にしながらも落ち着いた配色でまとめられた優美な画面をつくっている。画面上部には谷文晁(1763-1841)の画賛がある。署名は「一龍齋歌川豊春畫」〔図8〕、印章は「一龍齋」(白文方印)と「昌樹之印」(白文方印)の二印を捺している。この小型の二つの印章を、両方捺す形式の作品を主流としながら、どちらか片方のみを捺す作品も多く存在している。二印とも天明期を中心に寛政初期まで使用された印章である可能性を想定しておきたい。さて、豊春は天明期に流行した清長風のすらりとしたプロポーションの理想的な女性像の影響を受けながらも、一方で、絵のモデルとなった美人の生き生きとしたリアリティを眼前にするかのような、等身大に近いサイズの肉筆美人像も描いていることが注目される。その代表的作例の一つとして《遊女図》(愛知県美術館no.25)〔図9〕をあげる。木村定三コレクションの一幅で、鏑木清方旧蔵の伝来がある。縦168.4cm横72.5cmという現存する豊春の掛幅装のサイズとしては最大の縦長さをもつ。描かれているのは、間着や下着を何枚も重ね着し、牡丹唐草の前帯を締めた立美人。表着の右胸にみえる鶴の絵柄の近くには蔦紋が描き込まれており、新吉原遊郭に実在した遊女をモデルにしたものと推測させる。髪型は、安永・天明期に流行した横に広がった形の燈籠鬢に、髷は安永後期から寛政初期に結われた二つ髷の両兵庫である。両兵庫は、寛政後期には巨大化し、蝶の羽のように立ち上がる花魁独特の立兵庫として流行することになる(注6)。本図の美人の両兵庫がまだ小型であるという結髪風俗からも天明期の作例と推定することができる。大胆で粗放な筆使いによる衣文線は、豊春という絵師の闊達な気風を伝えるとともに、対比的に繊細な顔貌表現を際立― 515 ―― 515 ―

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