鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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決して華美に流れて品格を落とすことなく、色感にすぐれた豊春ならではの感覚で絶妙にまとめられ、嫋やかな仕草と優美な色彩が相まって、香気に満ちた画面を作っている。署名は「一龍齋歌川豊春画」、印章は「昌樹之印」(白文方印)が捺される〔図12〕。この大型の印章は、天明期と推定される《遊女後姿図》(フリーア美術館no.21)などの一連の大幅作品にも捺されていた印章であり、引き続き《桜花遊女図》(東京国立博物館no.34)や《猿引き図》(ニューオータニ美術館no.36)など、寛政期を中心に使用された大型印と考えられる。また《観梅図》旧箱の蓋表には「東都梅屋鋪之図 歌川豐春畫」とあり、蓋裏上部に「寛政十祀戊午仲春廿有八表具於東都」、蓋裏下部に別筆により「文政十三寅年八月拝領 梅村太兵衛良昌」と墨書されている。つまり寛政10年(1798)に江戸で表装されたことがわかり、制作期の下限が明らかとなる。また文政13年(1830)、表装されてから約30年後に「梅村太兵衛良昌」という人物が《観梅図》を「拝領」したことがわかる。梅村太兵衛は豊後臼杵藩士、御納戸方を務めた人物で、藩主の調度品などを管理した人物。《観梅図》は臼杵の同家に伝来した作品である(注8)。また60歳代に入った豊春は、署名にいわゆる「行年書き」をおこなったことが知られており、そうした署名があるいくつかの作例は、円熟期から晩年期の豊春の画風を知るための指標ともなっている。例えば《稲荷詣で図》(東京国立博物館no.42)〔図13〕には「行年六十一翁/一龍齋歌川豊春画」〔図14〕と署名されており、本図が寛政7年(1795)豊春61歳時に制作された作品であることがわかる。本図には、隅田川沿いにある三囲稲荷社へ参拝に出かける婦人と傘をもつお付きの老女が描かれている。背後には社の屋根がみえ、幟には「開帳」の文字があるため、春の開帳を目当てに出かけたという設定であろう。桜の花柄があしらわれた黒い着物の婦人の両肩あたりには、五三の桐紋が描き込まれており、高貴な身分の婦人であることをうかがわせる。婦人は細身のプロポーションで描かれ、高身長ながら現実的で均整のとれた身体表現である。土手に芽吹く春の草花を繊細に描く背景描写も丁寧に施されており、安定した構図と落ち着いた配色による穏やかな情景が懇切に表現されている。寛政期の豊春の端正で洗練された作風が見て取れる作品である。本図の印章は「弌龍齋」(朱文方印)であり、寛政期の作品に頻繁に使用された印章と考えられる。本図と同じ印章が捺された寛政期の作例と推定される《雪月花図》(ボストン美術館no.39)は、雪月花の景物にあわせた女性風俗が三幅に各々繊細に表現された作品であり、内藤正人氏も指摘するように、賦彩や描線ともに非常に丁寧に― 517 ―― 517 ―

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