鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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第4回展では日本美術家連盟、日本美術評論家連盟、外務省がサンパウロ・ビエンナーレ準備委員会を組織し、作品の最終決定は同委員会の推薦で選ばれた作品選考委員会が担うこととなった。委員は画家の宮本三郎と阿部展也、国立近代美術館(現・東京国立近代美術館)の今泉篤男と河北倫明の4名であるが、選考委員の半数に作家を入れるという点でも調整を図ったようだ。コミッショナーとして日本美術家連盟理事を務めていた画家の栗原信が参与しているのも、このような背景からと考えて良いだろう(注7)。とはいえ、実際的な運営は国立近代美術館が中心となって動いたようだである。これによって出品作家は25名にのぼり、これまでの国際展でも作家数は最大となった。多彩な顔ぶれであるが、その内実としては、「近年最も日本藝術界に活躍した前衛及びフォーヴ作家中より選出された」という(注8)。まず絵画では川端実、鳥海青児、糸園和三郎、香月泰男、小山田二郎、須田剋太、津高和一などが、デッサンでは海老原喜之助が、版画では斎藤清、畦地梅太郎、北岡文雄、泉茂、浜口陽三(浜口は版画部門グランプリを受賞)、前衛書道では井上有一や手島右卿がいる。彫刻に注目すると、向井良吉、木村賢太郎、辻晉堂、堀内正和の4名であった。彼らはいずれも戦後に抽象表現に転向した作家であり、抽象表現を日本近代美術の延長線上に位置付けようとした「抽象と幻想 非写実絵画をどう理解するか」(1953年12月-1954年1月、国立近代美術館)や美術批評家連盟の選抜によるグループ展「今日の新人・1955年展」(1955年12月-1956年1月、神奈川県立近代美術館)など、主要な展覧会で活躍した作家たちである。堀内にとってはこれが初めての国際展参加であったが、世界の潮流の中でその作品がどのように評価されたか、また日本代表団にどのような意図で選抜されたのか振り返りたい。4、堀内正和の構成〈Exercise〉第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品された堀内の作品は《Exercise1》《Exercise2》《Exercise3》(いずれも1956年)の連作である。特定の形に切り出された鉄板と鉄棒による構成彫刻で、作品ではすべての造形要素がひとつながりに接合されており、空間の循環性を強調するような形の円環構造が主題となり、「形体の訓練」という意味の題が付与されている。では本作が現地でどのように受け止められたのか、国際交流基金の機関誌『国際文化』は第4回展の翌年に現地新聞『エスタード・デ・サンパウロ(Estado de Sao Paulo)』に掲載された日本代表の作品および堀内作品についての批評の要約を掲載しているので引用してみよう。― 527 ―― 527 ―

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