注⑴Jane Zheng, “The Shanghai Fine Arts College: Art Education and Modern Women Artists in the 1920sand 1930s,” Modern Chinese Literature and Culture, Vol. 19, No. 1 (SPRING, 2007), pp. 195-196. 拙稿「近代中国の女子洋画教育─神州女学校と陳抱一」『民族藝術学会誌 arts/ 』vol. 37、民族藝術学会、2020年3月⑵Kuiyi Shen, “The lure of the West: modern Chinese oil painting,” Julia F. Andrews, Kuiyi Shen eds.Century in Crisis: Modernity and Tradition in the Art of Twentieth-Century China, NY: GuggenheimMuseum Publications,1998, pp. 174-175. 陸偉榮『日本近代美術史論』明石書店、2010年、114頁⑶括弧内、和訳は筆者による。蒙胥「參觀關女士個人畫展記」『申報』 1930年6月20日増刊17頁⑷展評で述べられた数年前に倹徳会で開かれた展覧会とは、1927年9月の連合展覧会を指す。展覧会目録によると関紫蘭は《芍薬花》と《持扇少女》、丁衍庸は《少女》など四点を出品した。⑸梁得所「絵画」梁得所ほか『近代中國藝術発展史(中國現代藝術史)』良友図書、1936年、38頁⑹丁衍庸「自述」『芸術旬刊』第1巻第7期、1932年11月、7-8頁⑺丁衍庸の《食卓の上》が中央美術展第5回展(1924年6月12日~28日、上野竹の台陳列館)に入選しており、中川紀元は同展の審査委員を務めていた。丁衍庸が中川と彼の著作を見聞きしていた可能性は高い。⑻丁衍庸「自述」『芸術旬刊』第1巻第7期、1932年11月、10頁⑼丁衍庸「自述」『芸術旬刊』第1巻第7期、1932年11月、8頁⑽拙稿「近代中国の女性洋画家関紫蘭と中川紀元─中国服の女性像を中心に─」『デ アルテ』36号、九州藝術学会、2019年6月、5-27頁⑾中川紀元「私の出品について」『週刊朝日』2巻13号、1922年⑿大熊卓蔵「上海洋畫家のプロフイル」『アトリエ』7巻2号、1930年2月⒀中川紀元「支那の女」『文藝日本』6号、1939年12月⒁河野道房『中国山水画史研究:奥行き表現を中心に』中央公論美術出版、2018年、25頁⒂中川紀元「牡丹の花にも比すべき麗人」梅田画廊編『木』4号、1970年、4頁⒃西槇偉『中国文人画家の近代─豊子愷の西洋美術受容と日本』心文閣、2005年、244頁⒄貝塚健編『描かれたチャイナドレス─藤島武二から梅原龍三郎まで』石橋財団ブリヂストン美術館、2014年― 42 ―― 42 ―
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