鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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「日本の出品には、民族の特性、感覚、真摯さ、完結性が、材料のあか抜けた技術のうちに示されている。今泉篤男氏の解説をつけた素晴らしい目録が我々を導いてくれる。[中略]われわれは堀内正和の3つの作品において、ちょうど「最も優れた外国人の彫刻作品賞」を得たホルヘ・オテイザが探求をしているものと同質のものを感じた。[中略]このビエンナーレに出品した国々のうち、日本の作品は、最も記憶されるべき作品として扱われたことを付記しておこう。」(注9)ここで堀内と対比されているのは、スペインの彫刻家ホルヘ・オテイザである。オテイザは戦前は人物を主題とする具象彫刻で知られたが、戦後パリに渡ったことを契機にモンドリアンやマレーヴィチなどの作品からインスピレーション得て幾何学抽象の彫刻家として再出発し、1950年代に国際的な評価を受けた(注10)。オテイザと堀内は同世代の生まれで、いずれも戦後に抽象に転向し、鉄という新素材を用いてモダニズムを再解釈しようとした作家であった。堀内に留学経験はないが、フランス語を得意とし海外の美術雑誌を渉猟したことはよく知られている。とりわけ抽象へ傾倒するきっかけを与えたのが、戦後にパリで刊行された抽象表現を主とする美術雑誌『アール・ドージュルディ(ART DʼAUJOURDʼHUI)』(lʼArchitecture dʼaujourdʼhui,1949-1954)であった。雑誌にはパリを中心に活躍する非形象の絵画や彫刻が豊富な図版とともに掲載され、堀内がこの雑誌から影響を受けたことについて筆者は既に論文にまとめている(注11)。抽象表現を国際的に啓蒙することを企図していたこの雑誌でラテン・アメリカの美術動向は重要な話題の一つであった。そのため堀内の同時代美術に対する行き届いた視線を考慮すれば、現地ブラジルで幾何学抽象が流行していることも視野には入っていただろう。現地新聞の評者は活動の拠点も文化的背景も全く異なるこの二人の同時代性を指摘しており、ビエンナーレの会場で堀内も国際的同時代性を持った作家として評価されたことがわかる。では一方で、日本側がどのような企図でこの作家ないし作品を選抜したのか確認したい。ビエンナーレに際しては日本代表団によるカタログ(全編フランス語)が刊行されており、今泉篤男の執筆による作家解説が付されている。その中で、今泉は日本における堀内の位置付けについて次のように記している。「出品した彫刻家の中でも、堀内はマックス・ビルのような鉄の棒と面による空間構成を身に付けた作家として早くから注目された。前衛的な彫刻の中にあって彼の作風は控えめで簡素だが、我々の近代生活を盛り込んでいく理知的な解釈に― 528 ―― 528 ―

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