鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
542/602

注⑴本稿では以下を基本文献とした。『ブラジルボディ・ノスタルジア』展覧会カタログ、東京国立近代美術館、2004年。『ネオ・トロピカリア ブラジルの創造力』展覧会カタログ、東京都現代美術館、2008年。都留ドゥボー恵美里『日系ブラジル人芸術と〈食人〉の思想 創造と共生の軌跡を追う』三元社、2017年。ALTSHULER, Bruce. Salon to Biennial - Exhibitions that Made Art History, Volume 1: 1863-1959,Phaidon, 2008. GUILBAUT, Serge “Ménage à trois: Paris, New York, São Paulo, and The Love ofModern art”, Internationalizing The History of American Art, Pennsylvania State University Press, 2009.ERBER, Pedro R. Breaching The Frame: The Rise of Contemporary Art in Brazil and Japan, Universityof California Press, 2014. FERREIRA, Gloria, HERKENHOFF, Paulo. ed. Mário Pedrosa: Primaryら近代化を果たしたことを賛辞する一方で、政治性も美学的論理もない様式の模倣にとどまった作風については厳しく批判するなど、自身の立場と考えを明確に示している。ペドローザは1958年4月に大阪の髙島屋で開かれた「新しい絵画世界展 アンフォルメルと具体」も興味を持って観覧し、自国で隆興しているコンクレティズム(具体主義)と日本の「具体美術協会」についてその意義と表現が全く異なっている状況を分析している。西欧美術の動向に揺さぶられながら抽象表現のありようを模索する日本の作家たちを冷静に見つめ、帰国後も日本美術について数多くの評論を残した。日本美術ではとりわけ前衛書道に関心を持ち、公式な来日前ではあるが、第4回サンパウロ・ビエンナーレの手島右卿や井上有一の出品にも関わったともいう(注14)。来日前後のペドローザと国立近代美術館の継続的な関わりを鑑みると(注15)、ビエンナーレの選考に関しても国内の委員会のみならず、周辺にいた批評家たちの関わりの中で検討された可能性は高く、今後も広い視野を持って検討すべきだろう。おわりに本稿では第4回サンパウロ・ビエンナーレの開催および日本の作家選考の背景を整理した。奇しくも日本に「アンフォルメル旋風」を巻き起こした批評家ミシェル・タピエの来日は、このビエンナーレ開幕のわずか2週間ほど前のことである。パリやニューヨークから遠く離れた東京やサンパウロを主戦場に、様々な思惑の中で表現主義と幾何学抽象の対立が繰り広げられつつあったのだ。以上のように、堀内の1950年代の鉄彫刻は単なる戦前の構成主義を回顧した作品としてではなく、むしろ抽象の表現形式をめぐる同時代の国際的な文脈から捉え直す必要があるだろう。日本の近代彫刻と抽象様式の問題と、それぞれに論点を切り分けながらさらに検証を重ねて行きたい。― 530 ―― 530 ―

元のページ  ../index.html#542

このブックを見る