鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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⑩ 鳥文斎栄之の肉筆画風研究─師・狩野栄川院典信の人物・花鳥・山水表現との比較を中心に─研 究 者:千葉市美術館 学芸課 契約学芸員  染 谷 美 穂はじめに鳥文斎栄之(1756-1829)は、旗本出身という異例の出自をもち、喜多川歌麿(1753?-1806)と拮抗して、美人画のみならず多岐にわたる仕事ぶりで人気を得た、江戸時代後期の重要な浮世絵師である。長身で楚々とした独自の美人画様式を確立し、一派を形成した栄之の名声は海外にも伝播したものの、その画業についてはいまだ十分に解明されていない点が多く、研究が進められていないのが現状である。とくに、栄之の師・江戸幕府御用絵師の狩野栄川院典信(1730-1790)からの影響関係についてはいまだに不明瞭であり、典信の画業に関する研究は近年前進をみせているものの、今後さらなる調査・比較研究が必要とされる。本研究では、これまでの研究において明らかにされてこなかった、栄之の師である狩野栄川院典信との影響関係について注目した。栄之と典信との筆法を比較し、画風における受容・相違の具体的な箇所を把握することは、栄之の画業やその作品の真贋を検討するうえで、きわめて重要な課題のひとつであるといえる。栄之の肉筆美人画や画巻(春画を含む)には、正統な狩野派を学んだ跡がみとめられ、人物以外─たとえば花鳥・山水─を主題とした作品も散見される。しかしながら、栄之の早期の画業は依然として不鮮明であり、栄之と典信の筆法・画風を詳細に比較した考察研究は、これまでには見受けられない。そこで報告者は、両者の相互の綿密な比較検討をおこなうことで、栄之研究に新知見を加えることができるものと考えた。具体的には、報告者は実地調査を実施した上で、両者の画風について、主題にも配慮しながら、人物と、花鳥・山水表現に分け、比較をおこなった。本論に入る前に、典信の画風について簡単に触れておきたい。典信は、木挽町狩野家の6代目を継いだ人物であるが、岡倉天心(1863-1913)の「狩野芳崖」(『国華』第2号、1889年)によれば、「栄川ノ巧緻」が、狩野派400年の歴史における「第三変」であり、写生主義を加味したことにより図取り等に変革があったということである。これについては、諸論あるためここでは詳細は省くが、薄田大輔氏によれば、樹木などのモティーフの質感を柔らかな墨の描線で捉えていく描法、墨の濃淡のみによる濃密な大気表現や景物の立体感などにその特徴があるという― 532 ―― 532 ―

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