ことである(注1)。それでは以下に比較考察をおこないたい。1.人物表現典信と栄之の画風における人物表現の比較については、和漢故事を描いたものだけでなく、春画に登場する男性像なども対象とした。人物図については、画題によっても画風が大きく異なるが、典信は、じつにさまざまな作品を描いている。たとえば、《唐子遊図屏風》(六曲一双、板橋区立美術館蔵)〔図1〕にみえる唐子たち、《鍾馗騎虎図》(掛幅、仙台市博物館蔵)に代表される鍾馗図、《大黒図》(掛幅、板橋区立美術館蔵)に描かれる大黒など、いかにも江戸幕府の奥絵師らしく、その幅広い技量には目を見張るものがある。しかし、残念ながら典信はいわゆる美人図を描いていないため、「人物」という括りで、それぞれの作品を比較したい。まず、さきに挙げた《唐子遊図屏風》について述べたい。《唐子遊図屏風》は、狩野探幽筆《唐子遊図屏風》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)とほぼ同図様の構図であるが、たとえば、面貌表現や彩色法などの細部の違いが繰り返し指摘されてきたほか、石田智子氏も、典信画では装束の色や柄が変えられ、色合いにおいても左右隻の調和を取っていることから、図様のみを引き継ぎながら、典信なりの解釈で描いているということを指摘している(注2)。栄之も色合いという点では、たしかに多くの工夫がみられる絵師であり、美人図においても紅を多用した濃彩の画風が特徴的である。また栄之筆《朝顔美人図》(寛政7年、掛幅、千葉市美術館蔵)〔図2〕に代表される寛政中期頃の肉筆美人画においては、口角をあげて微笑む女性像を多く描いているが、細い線でモティーフを繊細に描いた点や、墨の濃淡により髪の生え際を自然にあらわす表現などには、典信の画風を学んだ跡がみられるといってよいとおもわれる。つぎに、両者が描いた鍾馗図について比較したい。栄之筆《鍾馗図》(掛幅、所蔵先不明)については、残念ながら調査が行えず筆者未見であり、真贋等の問題も含めて不明であるが、さきに挙げた典信の《鍾馗騎虎図》〔図3〕の比較対象としては好例である。栄之筆《鍾馗図》〔図4〕は、クラウス・J・ブラント氏による栄之のカタログ・レゾネ『細田栄之』にのみ掲載されており、細部が不明瞭であるため明確にはその筆法を把握できないが、典信画は、さすがは御用絵師とあって、栄之画とは迫力の差が大きく感じられる(注3)。典信画では、鍾馗の眼が飛び出しそうなほどの眼力が特徴であるが、栄之画の鍾馗は逃げる鬼を睨みつけてはいるものの、まだ柔和な表現に抑えられている。勢いで鍾馗の袖や帽子の角帯が上がっている点や、衣服、髭の描き方などは共通するが、それ以外には共通点はほとんどなく、構図や、作品の与― 533 ―― 533 ―
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