鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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福禄寿とおもわれる図様を確認できていないが、実際には、典信は福禄寿を数多く描いていたようで、七福神を三幅対に仕立てたものの粉本が存在していたとのことである(注7)。福禄寿については、今後も引き続き作例を探していきたい。2.花鳥・山水表現花鳥・山水に関しては、画巻の背景や画中画(襖絵等)に描かれるもの─竹・鶴、波、草木、岩などの描き方にも着目し、考察をすすめていく。まず竹については、たとえば栄之筆《親子鶴図》(掛幅、熊本県立美術館蔵)〔図10〕と典信筆《寿老人・松竹鶴亀図》(三幅対、毛利博物館蔵)〔図11〕の左幅を比較すると、節の一部を描かないことや竹を墨の濃淡をつけることで立体感を出している点が共通する。竹の表面についても、筆を縦に素早く動かすことにより質感をあらわしている点がほぼ同様といえる。栄之画は略筆画風で描かれているため、より運筆にスピード感があるが、笹の葉の描き方についても、かたちのほか、墨の濃淡で奥行き感を出している点が非常に類似していることがみて取れる。続いて、鶴についても、さきに挙げた栄之筆《親子鶴図》(掛幅、熊本県立博物館蔵)と典信筆《寿老人・松竹鶴亀図》(三幅対、毛利博物館蔵)の右幅〔図12〕とが好例であり、栄之画は略筆画風に描かれる点以外は、両者の鶴の描き方はほぼ同様である。両図の左側奥に描かれている子鶴も、ほぼ同様の格好をしており、典信画は一羽多いという違いを除けば、全体的な構図もまた非常に似通っていることがわかる。栄之画は略画風で描かれているため、典信画のような羽の描写の細かさはないが、たとえば足の表現に注目すると、両図も足先から股のほうまで部位によって描き分けており、栄之が伝統的な狩野派による鶴の描き方を身につけていたことが判明する。浮世絵派では、狩野派を学んだ足跡をみせる礒田湖龍斎(1735-?)が典信画を反転させたような鶴を描いているが、腹部が黒くあらわされ、足の描き方が異なるなど、やはり本格的な狩野派とは相違がみられる(注8)。また、狩野派の他の絵師たちよりも、より両者は鶴の羽を柔らかく感じさせるように描いている点でも、両者の図が似通っていることが確認できる。そして、同じく木挽町狩野家3代目の狩野周信(1660-1728)の《花鳥図巻》(巻子本、板橋区立美術館蔵)と比較すると、柔らかな描写は共通しているものの、典信も栄之画も、頭から尾までの角度に傾斜がつけられ、より流麗でしなやかな鶴のモティーフとなっていることがわかる(注9)。つぎに、波の描き方にも注目したい。典信も栄之も、一見類似した波をあらわしていることがみてとれる。具体的には、典信筆《仙台領分名所手鑑》(画帖、仙台市博― 535 ―― 535 ―

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