物館蔵)〔図13〕と栄之筆《吉原通い図巻》(巻子本、出光美術館蔵)との波の描法に確認できる。しかし細部をよくみると、典信は小さな波線を幾重にも繋いで描いていくことで波をあらわしているのに対し、栄之は大きな波をあらわした下に、細かい波の線を入れる描き方をしていることが把握できる。典信画は波を精緻に描いているが、栄之は緻密さをなくすことにより、柔らかな波の表現に成功したといえるだろう。さらに、仙台市博物館の調査では、典信の画帖に描かれた波の線が黒く変色していることが確認できた。これはおそらく銀が酸化したことによるもので、栄之筆《三福神吉原通い図巻》(巻子本、千葉市美術館蔵)〔図14〕においても同様に、波に銀がもちいられていたことが確認されている(作品修復時の調査による)(注10)。御用絵師が波に銀をもちいることは珍しいことではないようにおもわれるが、栄之の肉筆画においても同様に波に銀をもちいていることは興味深い。続いて、鳥のモティーフについて検討したい。栄之も鳥は頻繁に描いてはいるものの、じつは鳥そのものを主題とした作品は少ない。典信と栄之がともに描いたものには、雀の図がある。雀は、典信筆《竹雀柳鷽図》(双幅、個人蔵)の右幅と栄之筆《雀に朝顔図》(掛幅、大英博物館蔵)とに確認されるが、両者をみると、前者が肉付きのよい雀を描いているのに対し、後者は頭も小さめですらっとした雀を描いていることがわかる(注11)。栄之画は、描き方もより軽妙であり、雰囲気がやや異なっている。つぎに岩についてみていきたい。たとえば、典信筆《夏冬山水図》(双幅、毛利博物館蔵)右幅や、《群鶴図》(巻子本、大英博物館蔵)〔図15〕には、栄之は岩を多くは描いていないが、《楊貴妃図》(掛幅、大英博物館蔵)右幅の下部に岩が描かれていることが確認できる。岩の輪郭線を描く描法は似通っているものの、土坡の描き方はやや異なっている。具体的には、典信は岩肌を細かく筆致であらわし質感を出しており、ごつごつとした岩の凸凹を観るものに感じさせるの対し、栄之は、やや滑らかな質感で、湿潤さを感じさせる描法で描いている。またこうした山水表現は、栄之の美人図《蚊帳美人図》(掛幅、出光美術館蔵)〔図16、17〕の背景の屏風にも確認でき、雪舟様のごつごつとした岩山ではなく、狩野派の基本は押さえつつも、美人図に合うよう、最低限の描線に留め、より柔らかな雰囲気を演出している点は見逃せない。つぎに、狩野派の絵師たちにより盛んに描かれた亀についてみていきたい。亀の描かれる作例には、典信筆《寿老人・松竹鶴亀図》(三幅対、毛利博物館蔵)〔図18〕の左幅と、栄之筆《遊女と禿図》(個人蔵)〔図19〕が挙げられる。栄之画では、亀は遊女の着物に描かれている。まずは目の描き方をみると、両者はほぼ同様であり、甲羅のかたちも類似していることが確認できる。ただし彩色には微妙な違いがあり、典信― 536 ―― 536 ―
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