鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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注⑴薄田大輔「狩野典信にみる江戸狩野派の探幽学習─狩野典信筆「西湖図」を中心に─」『金人物図においては、細い線をもちいることにより、人物の肌の質感を出すことや、濃彩をほどこすことにより豪華さを演出した点が、栄之が典信から受け継いだものではないかと報告者は考える。そして栄之は、そうした美人図だけでなく、もちろん風景画なども描いていたが、それは硬派な水墨画とはまったく性質の異なるもので、むしろ柔らかい線を巧みにもちいながら美人図の背景や風景を描き出している。栄之が典信に学んだ時代の絵は、残念ながら報告者は発見できていないが、おそらくこうした漢画系の画題の絵も描くことができたのではないかとおもわれる。しかしながら、彼は典信画の繊細な画風を自身の絵に多く取り入れたと解釈できるのではないだろうか。典信に学んだ画法を消化した栄之は、背景に描く風景表現を、美人図と調和できるよう柔和な描法に変えたと考えられる。一方で、私見では、狩野派の保守的な描き方は、時代や栄之の目指したものと合致しなかったのではないかと推察する。そしてそのことは、栄之が狩野派をやめ、浮世絵師に転向してしまうことにも関係があるのではないかと報告者は考える。今後は、筆者未見の、栄之による肉筆画に関する調査を進めていき、弟子との関係についても検討していきたい。Holzschnittmeister und seine Schüler: Stuttgart, 1977. に載る。鯱叢書』44、徳川美術館、2017年。⑵石田智子『近世日本美術史と狩野派研究─探幽から芳崖まで─』関西大学審査学位論文、2015年。⑶栄之の鍾馗の図版は、Klaus J. Brandt. HOSODA EISHI, 1756-1829: der japanische Maler und⑷このほかに、林原美術館本が存在し、場面の入れ替わりなどはあるものの、両本の図様はほぼ同様である。⑸前掲注⑶。⑹『狩野栄川院と徳島藩の画人たち』展覧会図録(徳島城博物館、2013年)所収。⑺前掲注⑹。⑻売立目録Japanese Colour Prints, Original Books. Coll. M. Paul Blondeau. Sothebys, April 26, 1910. より。⑼『板橋区立美術館所蔵 狩野派全図録』展覧会図録、板橋区立美術館、2006年。⑽千葉市美術館・田辺昌子氏からご教示いただいた。⑾前掲注⑹。⑿前掲注⑹。― 538 ―― 538 ―

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