〈3〉「西園雅集図」絹本著色、栃木県立博物館蔵、天保5年(1834)筆〈4〉 「西園雅集図」絹本著色、個人蔵(佐野市立吉澤記念美術館寄託)、天保5年〈5〉「西園雅集図屏風」紙本著色・六曲一隻、個人蔵(1834)筆このうち、本稿では論旨に深くかかわる栃木県立博物館所蔵の二点、文政10年の作および、天保5年の作を調査した。以降は便宜上、文政10年の作をA本〔図1〕、天保5年の作をB本〔図2〕と称する。二作品間では岩石の配置や皴法に違いがみられ、特に円通と劉涇の位置がA本では画面左上部、滝の下の岩の上に、B本では画面左中央の竹林となる。しかしながら、人物表現については一部に異同を含みつつも、基本的に共通している。たとえば、両作品における蘇軾ら数名を描いた箇所を比較すると〔図3、4〕、唐美人や蘇軾の左の男性の位置等が異なるが、その他の人物の配置や動作がほぼ一致することが分かる。他の人物に関しても、両作品で概ね共通する表現を備えており、B本は先行するA本の図像を基に、樹石の描写や構成を変更して描かれたものと知られる。先行研究でも言及されるように、この二点には斧劈皴や濃彩の使用など、靄厓の作品には珍しい北宗画的な技法が多用されており、文晁門下での幅広い中国絵画学習を裏付ける作品として位置づけられてきた(注6)。結論を先に述べると、靄厓A・B本は何らかの先行図像に立脚している。まずはこの点について、青木夙夜(生年不詳-1802)による同主題作品との比較から示したい。二、夙夜本について青木夙夜「西園雅楽図」(注7)〔図8〕(本居宣長記念館蔵)は、山水空間を基調とした大観的な構図からなる。制作時期は「甲辰夏日浚明写」の款記から天明4年(1784)と知られ、靄厓A本の成立から40年以上遡る。ところが、画面構成や個別の表現を比較していくと靄厓筆の二作品にきわめて近いことが分かる。たとえば蘭亭曲水図の常套表現にも通じる、蛇行した水面のほとりに人物を配置する構図は靄厓A本との共通点である。個別の人物表現に関してもA本と夙夜本とで完全に一致するうえ、画中における各人物群の位置も、先述の円通と劉涇を除き一致している。紙面の都合で全てを逐次比較しないが、特に画面左下部の李公麟らのグループは近似性が顕著であり〔図5、6、7〕、各人物の動作はもちろん、背後の太湖石の形状まで似通う。B本については山水の構図を含め相違が際立つものの、各人物群の表現にはA本のそれに多くを拠るため、夙夜本との近似箇所も残存している。このように、三点の西園― 544 ―― 544 ―
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