⒁A本における蘇轍は、B本では鄭嘉会に描き替えられているが、典拠への忠実性は保たれてい下有激湍、潨流於大渓之中、水石潺湲、風竹相呑、炉煙方裊、草木自馨(以下略)」⑵板倉聖哲「東アジアにおける蘭亭曲水宴図像の展開」『美術史論叢』29号、2013年。⑶明治期までに描かれた西園雅集図については以下の論考を参照。山盛弥生「野口小蘋「西園雅集図」について」『実践女子学園香雪記念資料館館報』12号、2015年。⑷人見伝蔵『高久靄厓伝』下野新聞社、1967年を基礎研究とし、以降も下記の展覧会図録を中心に検討が進められている。『高久靄厓展』栃木県立美術館、1975年。『高久靄厓 関東南画・山水画の正統』那須野が原博物館、2008年。『江戸文人画の彩り 高久靄厓とその師友』栃木県立博物館、2014年。⑸1から3は『江戸文人画の彩り 高久靄厓とその師友』(栃木県立博物館、2014年)に、5は『日本近世名画大観 下』(恩賜京都博物館、1941年)に掲載。なお現存は不明だが、売立目録には3の天保5年本に近い作品が複数確認される。佐々木丞平・佐々木正子(編)『古画総覧 文人画系1』国書刊行会、2006年。⑹本田諭「西園雅集図 解説」『江戸文人画の彩り 高久靄厓とその師友』栃木県立博物館、2014年、79頁、81頁。⑺所蔵される本居宣長記念館での登録名に基づく。後述の通り、画中表現より西園雅集図であることは明らかである。⑻山口泰弘「伊孚九と池大雅周辺」『三重の美術風土を探るⅡ 第1部 近世の絵画』三重県立美術館、1992年。⑼「山水は文待詔に傚い、細筆擦皴、暈するに墨気を以てし、秀潤明浄なり。又た設色の果蔬は濃厚絢麗にして、深く古法を得たり」。なお、円山四条派の花鳥図については「其の法古ならずと雖も、亦た観るに足る者有り」と評している。小林忠・河野元昭(監修)、高橋博巳(編集・校訂)『定本日本絵画論大成』第7巻、ぺりかん社、1996年。⑽精緻な著色の花卉画としては「花卉図」(石水博物館蔵)が知られる。⑾夙夜本も何らかの作品の影響下にある可能性がきわめて高いが、以降の考察では、夙夜本と近似する作品群を便宜上「夙夜本系統」と称する。⑿『尾張の文人画』名古屋市博物館、1990年に掲載。また筆者は以前、本図を別作品との比較例として示したことがある。藤原幹大「長沢芦雪筆「西園雅集図」について 画題の文学的典拠との関係を中心に」『美術史』186冊、2019年。⒀たとえば師弟関係にないものの、近い時期・地域で活動した長沢芦洲と横井金谷の西園雅集図に近似が認められる。藤原幹大「横井金谷筆「西園雅集図」について 同時代作例との近似性を中心に」『美学美術史研究論集』27号、2017年。る。⒂藤原幹大「岸岱による二点の「西園雅集図」について 富山市佐藤記念美術館・敦賀市立博物館所蔵資料を中心に」『名古屋大学人文科学研究』45号、2017年。⒃たとえば江戸における靄厓のパトロン・菊池淡雅は、立原杏所はじめ当代の江戸文人とも交遊したことで知られる。上野憲示「関東南画と靄厓」『高久靄厓展』栃木県立美術館、1975年。佐藤温「富商大橋淡雅の文事と時局」『近世文藝』86号、2007年。⒄前掲注⑹ 作品解説。⒅たとえば、靄厓が認知していた中国絵画のうち、本稿の課題との関連が疑われるものに、李唐「山水図」(京都・高桐院蔵)が挙げられる。「松渓曳杖図」(那須野が原博物館蔵)など、同李― 549 ―― 549 ―
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