が所蔵されている。⑩〔図12〕モノクロームで、全体が均一的に繊細な濃淡で描かれ、立体感が表現されている。ネワール民族特有の装飾品がずっしりとした重厚感をもって描かれており、龍や脇侍の表情が生き生きとしている。以上が、今回の調査で確認できたアナンダムニ・シャキャの作品である。所蔵者のうち、A、B、Dは、いずれもアナンダムニとの交友関係があったという人物に由来するものであることから信憑性は高く、C、Eについては署名が残されていることから、アナンダムニ・シャキャの作品とみなすことができる(注4)。4 アナンダムニ・シャキャの生涯とその作品アナンダムニ・シャキャの生涯については、書籍、文献等では明らかではなかったが、タンカ、ポーバを専門に取り扱っているイギリス人画商ロバート・ビア氏が、1999年にシディムニ・シャキャへ行ったインタビュー記事からその半生をたどることができる(注5)。それによると、アナンダムニは、1903年王室専属の仕立て師であったラジムニ・シャキャのもとに生まれた。ラジムニは、ネパールの宗教音楽バジャンの歌手でもあり、アナンダムニも早くから歌や絵画など芸術的な才能を見せていた。アナンダムニは、10代で画家プルナ・マン・チトラカール(Purna Man Chitrakar, c. 1863-1939)に絵の手ほどきを受け、1921年頃チベットに行き、チベット人画家からも絵を学んだ上、ダライ・ラマ13世より絵画の制作を依頼され、その素晴らしい出来により貴重な顔料を大量に贈られたという。帰国後は、チベット風の絵画を描いて売っていた。その後、インドのカルカッタやアラハバードを訪れ、1930年代後半から40年代までは、多くの肖像画の制作を受け、当時のネパールの有力者たちと親交をもっていた。1941年には、ネパール初となる、カトマンドゥ・アート・ギャラリーを創立するも、1945年に42歳の若さで、7人の子を残し早逝する。現地調査で確認できた現存作品について、少し詳しくみていく。まず画題については、仏菩薩を描いたものが5点、肖像画3点、風景画2点で、同じ作家によるものと思えないほど、幅広いものであった。調査前は、アナンダムニ・シャキャの現存作品は、仏画だと想定していたのだが、結果は全く異なり、肖像画や風景画などが約半数を占めていた。また、単色画が5点、着色画が5点と同数である。特に注目すべきは、仏画が単色― 558 ―― 558 ―
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