鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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⑤ 「境界の戦後美術」研究─真喜志勉とロジャー・シモムラを中心に─研 究 者:神戸大学大学院 国際文化学研究科 教授  池 上 裕 子はじめに第二次世界大戦後の美術は、従来、欧米の動向を中心に研究されてきた。近年その見直しとして、非欧米圏やマイノリティの美術研究が進むが、既存の言説が前提としてきたナショナルな枠組み自体を問う論考は未だ非常に少ない。そこで本研究は、従来の言説が軽視してきた社会集団の美術を「境界の戦後美術」と名付け、沖縄と日系アメリカ人の美術に注目する。両者はそれぞれ「日本美術史」と「アメリカ美術史」に分類されるものの、常に二つの国家の狭間で周縁化され、研究史も浅い点で共通する。本稿では特に、沖縄で活動した真喜志勉(1941-2015)と、日系3世のアメリカ人ロジャー・シモムラ(1939-)を取り上げ、彼らが「境界」から発信した表現がモダンアートとしての革新性とナショナリズム批判としての政治性を獲得した経緯を考察したい。真喜志とシモムラの経歴には興味深い類似がいくつかある。まず第一に、彼らは抽象絵画を試みた後にポップ・アートへと転向した。第二に、1960年代後半の「政治の季節」を経て沖縄の基地問題や戦時中の日系人強制収容など、社会政治的な主題を扱うようになった。そして第三に、二人ともその際、既存の図像を使う「借用」という手法を用いた。これに類する制作手法は洋の東西を問わず古くからあるが、ポップ・アートではそもそも複製イメージである大衆的な図像や有名な写真が選ばれ、その社会的意味合いや両義性までもが作品の意味作用に取り込まれる点に特徴がある。本稿でも、二人が用いた図像の源泉とその操作法を分析することで、マイノリティである彼らがどのように国家的な抑圧に対する抵抗を先鋭的な表現様式として成立させたかが見えてくるはずだ。1 沖縄と日系アメリカ人の近代史および美術的背景まず議論の前提として、沖縄と日系アメリカ人の歴史的背景を概略する。沖縄が日本の近代史に組み込まれるのは、琉球王国が1882年から89年のいわゆる「琉球処分」を経て「沖縄県」として明治日本に併合された出来事を契機とする。その後、太平洋戦争末期の沖縄戦では12万人以上ともされる民間人の犠牲者を出し、日本の主権回復後も20年にわたって米軍占領を強いられたことは周知の通りだ。また日系アメリカ人― 46 ―― 46 ―

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