性」の感覚がポロックのオールオーヴァーのポード絵画の持つ広大なヴィジョンやスケール感に作用していったであろうことが見えてくる。たとえば、ポロックはオールオーヴァーのポード絵画でキャンバスに地塗りを施す際、赤褐色を顕著に用いているが、これなどは、彼がアリゾナ州の赤い大地に接して得たであろう色彩体験が関わっているのではないかと思われる。第2章「初期─自己を探し求めて」では、1930年にポロックがニューヨークで本格的な芸術家修行を始めるところから、彼の芸術が一つの大きな転機を迎える1942年の前年までを扱った(本研究では、この時期をポロック芸術の「初期」と定めたい)。この時期ポロックは、さまざまな他者の芸術に触れたり、大恐慌というアメリカの社会状況と深く関わり合ったり、また自身のアルコール依存症に苦しめられながら制作を進め、己の芸術をひたむきに探っていった。ポロック初期の主要なトピックとしては、トーマス・ハート・ベントン、メキシコ人壁画家、ネイティヴ・アメリカンの芸術・文化、連邦美術計画、精神分析などがある。いずれもすでにいくつかの詳細な先行研究があり、さらなるオリジナリティのある考察を展開するのはなかなか困難な状況ではあるが、たとえばベントンに関しては、主要なポロック研究者の一人であるフランシス・V・オコナーは、ベントンのリージョナリズムの主題面でのポロックへの影響を、表面的なものとして非常に軽視している(注5)。しかしながら、たとえば第1章でカウボーイのイメージの問題に関して触れたように、ポロックは西部人であることを自分のアイデンティティとして大切に思っていた。その彼の西部のバックグラウンドがベントンのリージョナリズムの美学とも強く結び付くことで、ポロックはその初期、西部的な主題を自らの絵画で取り上げて描いていくことになったのではないか。ポロック初期のその他の主要なトピックとしては、アルバート・ピンカム・ライダーが挙げられる。1944年にポロックがライダーのことを、「自分の関心を引く唯一のアメリカの巨匠」(注6)と呼んだことはよく知られている。そのためライダーは、ポロックの初期の芸術が概説される際には言及されることの多い存在である。しかしながら、そのわりには、ポロックに対するライダーの影響は、深く考察されてきていない(同時期にポロックに大きな影響を与えていたベントンの方に重点が置かれるのが常である)。ほとんど知られていないと思われるが、ポロックは最晩年(1956年)に愛人から、「画家で本当に好きなのは誰?」と尋ねられた際、「アルバート・ピンカム・ライダーだね。彼に一番影響を受けた」と答えている(注7)。こうしたポロッ― 574 ―― 574 ―
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