その中でも痛烈な批判精神に貫かれていたのが、彼が1972年の「沖縄返還」から一月後に開催した《大日本帝国復帰記念》展である〔図1、2〕。展示会場である沖縄物産センター画廊の壁面を埋め尽くした2種類のシルクスクリーンのうち、一つは真珠湾攻撃時の首相だった東条英機の肖像写真、もう一つはジョー・ローゼンタールの有名な《硫黄島の星条旗》(1945年)を借用したものだった〔図3〕。どちらもインパクトの強いイメージだが、後者のシルクスクリーン原版の裏を確認すると、真喜志は星条旗を塗りつぶして旗全体を風にはためくような形状に描き直し、その上から日の丸の写真を貼り付けていたことが分かる〔図4〕。彼はこのイメージ操作によって、施政権返還後も米軍が沖縄に駐留を続けるばかりか、戦後は自衛隊と改称した日本の軍隊も再上陸するという「本土復帰」の矛盾を鋭く突いたのだ。肖像写真や壁紙の反復的な使用はポップ・アートの代表的な手法である。真喜志は1960年に多摩美術大学に「留学」した当初は(米軍占領下の沖縄住民は本土に行くのにパスポートを必要とした)、アンフォルメル風の抽象画を手がけていたが、その後世界の美術潮流がポップへと大きく舵を切ったことから作風を変えた。そもそもアメリカ文化への愛憎を持つ彼には、借用するイメージに対する憧れや批判といった両義性を内包できるポップの様式は非常に魅力的に映っただろう。東京でも篠原有司男や小島信明などがポップ作品を発表する様子を目の当たりにしたに違いない。1964年に大学を卒業した真喜志は、数年間は実家の洋品店を手伝うが、ショーウィンドウにアメコミやジョニー・ウォーカーの空き瓶を使ったディスプレイを施すなど、ポップ的なインスタレーションをすでに実験的に展開していた。そして1967年5月、沖縄に帰郷して初の個展、《ジョン・ルイスの世界》展を琉球新報のロビーで開催し、シルクスクリーン版画を壁紙のように張り巡らせた〔図5〕。これは前年にニューヨークのレオ・キャステリ画廊で《牛》の壁紙を発表したウォーホルの手法を参照したものだが、真喜志がジャズのLPジャケット(注5)から借用したルイスの写真〔図6〕には牛よりも複雑な含意が感じられる。黒人ミュージシャンであるルイスの肖像は、アメリカの公民権運動や沖縄の本土復帰運動という文脈では、独特な政治性を持つからだ。当時ベトナム戦争のために沖縄に駐留する米兵が急増し、それによるトラブルも起きていた一方で、沖縄住民の中には白人兵に差別されていた黒人兵に共感する者もいた。実際、展覧会の記録写真には「VIETNAM」の語やホーチミンの写真なども映っており、真喜志がベトナム戦争への言及を行っていたことが分かる(注6)。また、ルイスの肖像と並んで反復されているのは星由里子という女優の写真で、― 48 ―― 48 ―
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