鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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を運営し日本画家の支援者でもあった南米岳のご遺族より関連資料の寄贈を受けたもので、岡倉天心、菱田春草、横山大観ら米岳のもとに集められた書簡類を多く含むこの一括資料について、概要を示し目録を作成することができた。この成果は『年報・紀要』に「新収資料」として掲載した。また、本研究の共同研究者である芹生春菜は、学内に散在する学史資料調査の一環で、大学美術館所蔵資料をデジタル閲覧により『百年史』掲載写真の所在調査と文書類との対照作業等を行った。文書資料と写真資料を詳しく調査、検討した結果、これまで明らかでなかった明治44年の卒業式と、今日の卒業展にあたる生徒成績品展覧会に関する具体的な新知見を得るに至った。その研究成果は、同じく『年報・紀要』に報告されている。展望当初の研究の柱に掲げたものの、実際にはアジア近隣諸国間の共同調査は実現できなかったため、ここでは将来に向けてのこの研究に関する展望を略述しておく。近年、中国、韓国、台湾において自国の近代美術に関する関心は、非常に高くなってきている。中国の近代画家のなかでもっともよく知られた存在は、李叔同(弘一大師、1880-1942)であろう。西洋画科に学び明治44年に卒業。帰国後は、美術だけではなく音楽、詩、演劇など多面的に才能を発揮し、文人、僧侶として活躍し現在では映画が製作されるなど国民的な偉人となっている。韓国では「韓国近代美術史学会」を中心に近年この領域の研究がたいへん盛んとなっている。そうした研究でも必ず取り上げられるのが高羲東(1886-1965)、金観鎬(1891-1959)ら初期の洋画家たちである。二人とも西洋画科に学び、帰国後は朝鮮半島における近代美術の発展に大きく寄与した。台湾では、近代洋画のパイオニアと言われる陳澄波(1895-1947)の名を知らないものはいない。大正13年に東美校図画師範科に入学、在学中に台湾出身画家でははじめて帝展に入選。その後は上海に渡り旺盛な創作活動を行った。帰台後は台湾の風土に根ざした素朴な画風で台湾文化のリーダー的存在となるが、戦後、1947年に起きた二二八事件で処刑されるという悲劇的な最期を遂げた。台湾近代美術史上、最も重要な画家として研究も多い。こうした作家たちは各国においては著名だが、日本の美術史界ではほとんど関心を持つものがいないのが現状である。逆に、海外においては日本の近代美術史にとって重要な作家たち、たとえば高橋由一、横山大観、黒田清輝らに関してほとんど関心を示していないのと同等であるともいえよう。各国で日本の作家が研究対象となるの― 584 ―― 584 ―

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