鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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(注8)。真喜志はこの借用と改変によって、一国のシンボルが時の政治状況次第で正反対の意味を持ちうる沖縄の状況をこそ、ナショナリズム批判として可視化したと言えよう。3 ロジャー・シモムラの《ミニドカ》シリーズ、1978~79年1939年にシアトルに生まれたシモムラは1942年から約2年間、家族とともにアイダホ州のミニドカにある収容所で暮らした。長じて浮世絵を用いたポップ・アートの作風で知られるアーティストになった彼は、1978~79年にかけて、初めて強制収容を主題とした《ミニドカ》を制作する。《ミニドカ》シリーズは《No. 1 通告》、《No. 2 出国》、《No. 3 日記》、《No. 4 夢》、《No. 5 第442連隊》、《No. 6 ノーノー・ボーイ》の6点から成る、戦時中に日系人が経験した苦難を152 x 183 cmの大画面に描いた歴史画である〔図9~14〕。この連作に使われた浮世絵の図像は数多いが、その詳細に関する研究はまだない(注9)。そこで本節では、調査で判明した源泉の画面内における機能や意味作用を分析することで、シモムラによる借用の特徴を明らかにしたい(注10)。紙幅の制限上、調査結果は〔表1〕で紹介し、ここでは数点に絞って考察する。まず《No. 1 通告》では、西海岸からの退去通告を読む前景の人物が東洲斎写楽の《篠塚浦右衛門の都座口上図》から、左上の男女は司馬江漢が鈴木春信の名前で発表した《忍恋》から取られている。画面右の群像は喜多川歌麿の5枚続の錦絵《煤掃き》から2箇所を切り取って組み合わせたもので、そこに同じく歌麿の《針仕事》から赤児が加えられている。収容所に向かう日系人を描く《No. 2 出国》は歌川広重の《東海道五十三次 藤沢》を背景とし、傘を持って中央に陣取るのが鳥居清長の《助六》、そこに歌麿の《山姥と金太郎 栗枝持》から幼子が配される。前景右端の2名は歌麿、その左の親子は春信、その上の3名は左から写楽、写楽、奥村利信といった具合だ。ミニドカに舞台を移した《No. 3 日記》では、前景の女性が渓斎英泉の《浮世風俗美女競》、背景の母子が歌麿の《夏衣裳當世美人》からの借用である。このように見ていくと、シモムラは1点の絵画の中に、複数の作家や異なる時代の浮世絵をパッチワークのようにつなぎ合わせて使っていることが分かる。だが《日記》の右上に小さく描かれた鉄条網と監視塔が雲や人物像で半分以上覆われているように、舞台が強制収容所であるという事実はジャポニスム的な異国趣味でカモフラージュされている。予備知識のない鑑賞者には、この連作は日系アメリカ人が自らの文化的遺産を取り入れて制作したエキゾチックな「現代の浮世絵」にも見えてしまうだ― 50 ―― 50 ―

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