鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
64/602

にもかかわらず、浮世絵が自分の文化的遺産だとは感じられないような教育を受けたということを理解する必要があるだろう。その上であらためて《ミニドカ》を見直すと、浮世絵の図像はシアトルやミニドカの風景に置き直されていることが分かる。まず《No. 1 通告》の右上で男性が眺めるのはシアトル沿岸から臨む太平洋で、雪を戴く山は日系人に「タコマ富士」と親しまれたレーニア山であろう。また《No. 2 出国》の原題「Exodus」は旧約聖書の出エジプトに由来するが、紅海が左右に開けたという奇跡のように、この絵でも道がはっきりと色分けされており、左上の鳥居はシアトルの日本庭園にあった鳥居への言及となっている。さらに《No. 3 日記》では、対角線の構図や薄暗い室内との対比により、右上の鉄条網や監視塔に視線が誘導される。舞台が収容所だと気づくと、そこにたなびくのは伝統的な日本美術によく見られる雲ではなく、砂漠気候のミニドカで日系人を苦しめた砂嵐であることに思い至るだろう。つまりシモムラは、強制収容という主題を浮世絵でカモフラージュしつつも、最終的には主題が分かるような仕掛けを画面内に施しているのだ。このように既製のイメージを自由にリミックスして新たな作品にする手法は、1980年代に「アプロプリエーション(流用)」と呼ばれるようになったポストモダン的な借用を先取りするものである。例えば《No. 5 第442連隊》は歌川国芳の《誠忠義士傳 原郷右エ門元辰》が源泉だが、その図像はもともとシモムラが日本美術の知識を得ようと数ドルで買った『日本の塗り絵』の表紙に発見したものだ(注16)。まさに異文化の流用とも見なせるようなこうしたキッチュな絵本が象徴するように、アメリカにおける「サムライ」「ゲイシャ」といった日本人のステレオタイプは、浮世絵のイメージに大きく影響されている。そしてそのステレオタイプは、占領下の日本に駐留した米兵たちがお土産として自国に持ち帰った浮世絵によって強化され、戦後も日系アメリカ人のイメージを規定していたのだ。つまりシモムラは、浮世絵を使うことで、浮世絵に基づく人種的ステレオタイプそのものを批判していると言えよう。したがって《ミニドカ》は、アメリカ史の汚点である強制収容という主題を浮世絵に仮託しつつ、先鋭的なモダンアートとしても成立し、かつ市場にも受け入れられるような作品を仕上げるという、極めて野心的な試みだったのだ。おわりに以上見てきたように、真喜志とシモムラは、「借用」を戦略的に用いることで社会政治的な主題を前景化させたが、その効果は大きく異なっていた。真喜志がイデオロ― 52 ―― 52 ―

元のページ  ../index.html#64

このブックを見る