鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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オスマンが手がけた「大通り(AvenueあるいはBoulevard)」の特徴は、道幅の広さと、道沿いの建物の画一的な外観にある。モネを筆頭に印象派画家たちは、オスマン改革を象徴する大通りを取り上げている。他方、ロビン・ロスラクによれば、新印象派画家たちは旧式の狭隘な通り(Rue)を描いた(注6)。新印象派画家でアナーキストでもあったマクシミリアン・リュスは1889年から1890年の《ムフタール通り(La Rue de Mouffetard)》〔図6〕で、労働者地区を取り上げている。黒の斑点と化したモネの群衆とは対照的に、リュスの作例では個々の人物が明瞭に描き分けられている。人々が各々の営みに従事し、雑然と入り乱れる様子は、アナーキストが称揚した個人の自由および緩やかな連帯を想起させる。「テアトル・フランセ広場連作」は「大通り」を描いているものの、乱雑に入り乱れる群衆の描写〔図1〕はリュスが捉えた「通り」のそれに近い。本連作の特異性はピサロの「モンマルトル大通り連作」と比べると顕著である。モンマルトル大通りは、モネが描いたキャプシーヌ大通りの延長上のブルジョワ界隈にあり、ピサロはこの場所を舞台に、馬車が列を成して整然と走る様子を捉えている〔図7〕。対して「テアトル・フランセ広場連作」〔図1〕は、複数の通りが合流する広場に焦点を定め、各方面から来る人々と馬車が無秩序に行き交う様子を描く。ピサロはテアトル・フランセ広場近辺の光景について次のように述べる。言い忘れていたが、オペラ大通りとパレ・ロワイヤルの一角の素晴らしい眺望を見渡すことのできるグラン・ドテル・デュ・ルーヴルの一室を見つけた。それは描く価値があるものだ。その景観はさほど美しくはないが、醜いと言われるパリの通り(rues)を描くことができて私は嬉しく思う。これらの通りは銀色の色調を帯びて大いに光り輝き、活気にあふれ、大通り(boulevard)とはまったく異なる。これこそ正真正銘の近代である(注7)。この一節はこれまでピサロがパリの主題に魅了されていたことを示す文章として引用されてきたが、本稿が指摘したいのは、彼が「通り」と「大通り」を区別し、「通り」の魅力に言及していることだ。本来オペラ大通り(LʼAvenue de lʼOpéra)は道幅の広さから大通り(boulevard)と同等に扱われるべきだが、ピサロはサン=トノレ通り(La Rue de Saint-Honoré)やリシュリュー通り(La Rue de Richelieu)とともに、「オペラ大通り」も「パリの通り(rues)」に含んでいる。彼はこれらの通りとテアトル・フランセ広場に、「醜さ」と表裏一体をなす「活気」を見出した。第二帝政下の人々― 60 ―― 60 ―

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