鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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また、《マッツォッキ夫人像》が、来日していない人物像であるように、写真をもとにした横浜絵は、横浜絵のために自身の写真を横浜で撮った外国人の場合もあれば、自国から持参した写真を提示しての制作もあったと考えられ、平木が武蔵屋を介したという受注がどのようなものであったかはわからない。下岡蓮杖の写真館との関連は、写真を撮られると寿命が縮むと騒がれた時代、写真を撮らせたのは外国人向けや外国人であったと平木も示唆するところであるが、写真師と横浜絵の関連についての調査は十分取り組めていない。今後の課題世界規模の新型コロナウィルス感染症拡大の影響下、調査はイタリアで調査受入、協力を快諾していた関係者のまず安否確認から始めることとなり、本報告書までの期間においては遺憾ながら渡航は絶望で、当初想定された成果には結びつかない状況に至った。しかしながら、国内遠方の作例を実見する機会を得て、また貴重な資料の存在や情報、文献が得られた。サンフランシスコ・アジア美術館(Asian Art Museum of San Francisco)収蔵作や、BAMPFA(University of California, Berkeley Art Museum and Pacific Film Archive)所蔵の矢内舎柳甫の作例など(注29)、また緊急事態宣言下であっても、Web上から中山年次の作品やその他横浜絵における類例を確認することができ、いくつかの類型と系統が見えてきた。本報告書でそれぞれの作例を示す段階には無いが、今後海外所在の横浜絵の作例について調査を進められれば、新たな考察を導ける可能性がある。また、横浜絵とは何か、渡航せずにできる調査を検討してみた中で、東京大学の髙岸輝准教授、東京大学大学院博士課程の竹崎宏基氏を始め、貴重なご助言やご教示をいただいた方々にまず深く感謝申し上げたい。またマッツォッキ東洋美術館館長を始め、イタリア側関係者の方々のご協力にも感謝申し上げる。横浜絵については、得難いお力添えで、国外所在の横浜絵に関連づけられる山村柳祥などの作例も知ることができた。横浜絵が美術品ではなく民俗資料として博物館に収蔵されている例もあるのは、横浜絵の性格を物語るものである。また、蚕種貿易においてイタリアには毛筆による日本語の領収書などがあると開港資料館西川武臣館長のご教示を得た。それらを蚕種貿易ではなく絵画の依頼や売買の観点から調査できたなら、何らかの手がかりが得られる可能性も捨てきれない。蚕種商人ポンペーオ・マッツォッキが故郷にもたらした文物には、横浜絵や絹本着色の人物風俗画のみならず、日本写真、武具、また柄のついた茶筅などもあると聞く― 75 ―― 75 ―

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