鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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(2)基底材・和紙の表現効果ているように思われるが、一点一点は水分を多く含んだ薄塗りを基本としており、下地が透けている部分が散見される〔図1-5〕。家や木、人物などのモチーフはこれらの点描よりも厚塗りの絵具を用い、重ね塗りをあまり行わず、それぞれ少ない色数で記号的に描かれている〔図1-6〕。ここに大地とそれ以外のモチーフを対比する意図が見える。つまり、モチーフを記号的に示すことで、大地の色面構成の効果的な表出を試みていると考えられるのである。更に全体に蒔かれた金砂子によって大地の砂の質感がより強調される。第1章で触れたように当時を知る画家の言説からここで用いられている点描の画材は「黄オーと丹」(注24)と考えられる。黄オーは藤黄のことと思われ、植物の汁を原料とした染料で水溶性のため、特徴的な粒子感が残る鉱物性の岩絵具よりも、墨に近い使用感となる。また、丹は鉛丹(Pb3O4)という鉱石を原料とするが、他の岩絵具よりも粘性が高く取り扱いが特殊である。紫紅は「業平東下り」において蔦の葉や馬の房飾りなどに丹を独自の技法を駆使して用いている〔図2〕(注25)。ここでは丹の粘性を活用し、絵具の水分を筆点の下方に溜めて留めることで、立体的な質感を獲得した。本図においても筆点内での絵具の濃度差によって絵具溜まりを作り、点描による色調変化にさらにリズム感を与える効果を得ている。これは先述の「ゆっくりと穂の短い筆で交互に空間を埋める様に置いて行く、先に置いた点が濡れている中に次のを落とすと互いになづみ合って柔らかい複雑な調子が出る」(注26)という技法であると考えられる。この筆点における絵具の溜まりは、水分吸収が緩やかで、一定でなく、更に表面に絵具の引っかかる凹凸のある紙を基底材としたことで表出が可能となる。絹は目が均一なため同じ点描技法を用いた場合も水分の吸収が急速かつ一定であり、点そのものは平滑となる〔図3-1〕。そのため、本図のように画面の凹凸を活かした複雑な表面表現を獲得する基底材には紙の方が適していたと推察される。水分を多く含んだ色彩の点描を重ねていく技法は「近江八景」のうち「瀬田」〔図4〕にも見られ、米芾の米点に代表される水墨点描を色彩化し独自のものとした技法である。ここには墨戯として紙の特性を生かした表現技法が発展した中国文人画の学習がうかがわれる。同じく文人画の点描技法を取り入れた横山大観筆「湖上の月」〔図3-2〕や紫紅の「宇津の山路」〔図5〕など絵絹を基底材とした作品において、点描は墨や色彩の濃淡によって対象の量塊感や遠近感を示している。一方で本図は絵巻の構成を有効的に用― 84 ―― 84 ―

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