鹿島美術研究 年報第38号別冊(2021)
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い、点描を右から左へ徐々に色調を変化させながら展開することで、時間の移り変わりの中で次第に表情を変える大地の時間経過を表す。画材に視点を向けると、基底材に厚手の和紙を選択したことによって、紙への水分の浸透率の違いによる絵具溜まりを効果的に用いた上で、基底材の厚みをも利用して物質的な立体感を獲得している点が指摘できる〔図1-7〕。凹凸による質感は湿度の高い日本とは異なる熱国の乾燥した赤土の大地の質感を視覚的に伝え、作品全体に漂う熱く乾いた野生味溢れるイメージの統一をもたらしたと言える。日本の山水画では湖畔の気象を描き分ける『瀟湘八景』に代表されるように、水墨によって湿潤な空気感を演出する画題が多く描かれてきた。横山大観は「湖上の月」〔図3-2〕において絵絹を用いることで霧のかかる風景の表現に柔らかさと奥行きをもたらしている。対照的に本図は基底材に紙を用い、色彩と紙そのものの厚みや表面の凹凸さえも活用して、砂を含んだ力強い大地と熱射に満ちた大気を物質的に再現する。素材の存在感で対象の物質性を前面に押し出す手法は、鑑賞者の感覚に訴え、本図全体に満ちる熱帯の力強い風景観を印象づけている。先行研究において装飾的効果の指摘された本図の色彩点描は、「近江八景」における試みを経て、紙の厚みや凹凸をも表現に取り入れることで、物質性をより深化させる結果を生んだと指摘できる。紫紅は本図制作前の記事において「生命ある絵」についての言説を残している(注27)が、原初的な風景を素材の質感を以て表出することで、この課題への一つの解答を得たのである。4、越前における日本画用紙抄造ここまで今村紫紅筆「熱国之巻」の造形を観察し、基底材に紙を用いたことによる効果を分析してきた。本稿では更にこの時期の越前和紙の日本画用紙生産状況を明らかにするべく、岩野家文書と、近世より代々奉書紙を主とした越前の紙漉を受け継ぐ三田村家文書について調査結果を示す(注28)。近代日本画における特注和紙の使用は岡大紙を用いた横山大観・下村観山合作「明暗」(大正15年)、栖鳳紙を用いた竹内栖鳳「晩鴉」(昭和8年)などで知られている。これらは現在でも日本画の主要基底材である「雲肌麻紙」を開発した岩野平三郎の手による画紙である。岩野氏が日本画用紙抄造に取り組み始めたのは大正時代中頃(注29)であり、今回の調査により明治31年(1897)から数年の「販紙帳」〔資料1〕によって明治中期から後期にかけて岩野氏は襖紙(模様入り和紙)の販売を主としていたこと(注30)が判明した。日本画用紙について、岩野氏手記によると明治30年頃、― 85 ―― 85 ―

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