鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
100/549

ところで、本作品は一体何を題材としているのだろうか。特に升目の中に描かれた花卉は何を表すのだろうか。本作品を表題とする論文はこれまで発表されていないが、展覧会に度々出品されており、画題についても各種展覧会図録の中で言及されている。昭和61年(1986)に開催された「狩野山雪展」の図録の解説において、林進氏は「単なる装飾画に見えるが、実は、蘇東坡の詩『司馬君実独楽園』の「流水在屋下、中有五畝園、花竹秀而野」を典拠にして、司馬光の「独楽園」を暗喩している」と述べている(注2)。しかし、明確な論拠は示されていない。また、平成25年(2013)に行われた「狩野山楽・山雪展」の展覧会図録の解説において山下善也氏は、画題の解釈として先の林氏の見解を紹介している(注3)。上記のとおり、画題についての多少の言及はあるものの、具体的な論証、特に図様に着目した研究はない。そこで本稿では林氏の見解に立ち、「流水花卉図屏風」は「司馬光の「独楽園」を暗喩したもの」と仮定した上で、図様とテクストについて考察を加えることで、本作品の画題と、この特異な升目の中に描かれた花卉の源泉を明らかにしていくことを目的とする。そして、享受者についても若干の考察を加えたい。1.独楽園独楽園とは、北宋の政治家で儒家、周の威烈王から五代後周までの歴史書・『資治通鑑』の著者としても名高い司馬光(字は君実、爵位から温公とも)が、王安石と対立を機に朝廷を退き、隠棲した洛陽に拓いた庭である。林氏が指摘する蘇東坡「司馬君実独楽園」は司馬光の同志であった蘇東坡が、独楽園とその持ち主であった司馬光を称えた詩である。林氏は『司馬君実独楽園』の「流水在屋下、中有五畝園、花竹秀而野」を典拠とし、本作品を司馬光の独楽園に結び付けている(注4)。その詩によれば、独楽園には、流水は屋根の下をめぐり、中に五畝の園があり、花や竹が秀でて美しく、その様は野原のような素朴さであった、という。より詳しい庭の様子は、司馬光自らが記した『独楽園記』に記されている。『独楽園記』の冒頭では、孟子と孔子の詩を引用しつつ、「独楽」について述べ、次いで独楽園を拓くまでの経緯、そして園内の様子、最後に「独楽園」の命名とその精神性について書かれている。園内には七つの東屋、すなわち、五千巻の書物を置く「読書堂」、小屋に水を引いた「秀水軒」、川の中央にある竹の島に続く漁師小屋のような「釣魚庵」、涼をとるために美しい竹を植えた「種竹斎」、様々な薬草を植えた「採薬圃」、芍薬や牡丹などの園芸を楽しむことができる東屋「澆花亭」、小高い場所に建てられ、町を見渡せる「見山台」― 91 ―― 91 ―

元のページ  ../index.html#100

このブックを見る