鹿島美術研究様 年報第39号別冊(2022)
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を編修するにあたり狩野探幽に司馬光の肖像画を描かせたとの記録(注17)や、「独楽園」を意識した詩を多く残している。鵞峰は司馬光を仕官と退隠を体現した人物だと捉えていたといい(注18)、司馬光及び独楽園の受容の一側面を垣間見ることができる。このように、漢詩に精通する知識層のなかには『独楽園記』の全文を知りえた人物がいたのであった。最後に享受者について若干の考察を付け加えたい。「流水花卉図屏風」から『独楽園記』を読み解くとなると、本作品の発注者及び享受者は『古文真宝後集』に掲載されている内容以上を知りえた人物、つまり『独楽園記』の全文を知りえた知識層であったと考えられよう。さらに発注者は、幾何学形式をとる山雪の絵画的特質、そしてテクストをよく読み中国の画題に精通している人物であることを理解していた人物であると思われる。山下氏は、「気の遠くなるような制作プロセスからみても、相当な趣味人による発注であったと想像される」とし、「ある種の知的遊戯、この屏風の贈り主と贈られた人物、そして絵師の山雪自身のあいだで共有された何らかの文芸上のコードがあったのだろう」と述べている(注19)。山雪は羅山ら儒者との交流のなかで「歴聖大儒像」「藤原惺窩閑居図」などいった作品を残しており、交友関係から鑑みても『独楽園記』の全文を知りえる環境にあり、おそらく「独楽園図」という画題だけなく、『独楽園記』も心得ていたと思われる。おわりに本稿では「流水花卉図屏風」の画題及び、画面下部の升目の中に描かれた花卉の源泉を明らかにすることを目的とし、「蘇東坡の詩「司馬君実独楽園」を典拠に、司馬光の「独楽園」を暗喩」するという林氏の見解に則り、図様とテクストの検討を行った。その結果、升目の中に花卉描く表現方法は、仇英の「独楽園図巻」の採薬圃をイメージの源泉としていた可能性があることを述べた。仇英の「独楽園図巻」の存在は、本作品が「独楽園」を暗喩するという林氏の説を補強するものになろう。テクストについては、江戸時代における漢文の入門書であった『古文真宝後集』には「独楽園記」の全文が掲載されていないことを指摘した。その上で、漢詩に精通していた知識層のなかには「独楽園記」の全文を知りえた人物がいたことを述べた。「流水花卉図屏風」は極端に意匠化されており、発注者、享受者、描き手が「独楽園記」のテクスト全文をよく理解する必要があったはずである。特に発注者については「独楽園記」のテクスト全文を知りえた知識層で、かつ、絵師山雪を熟知した人物であったと推測される。― 95 ―― 95 ―

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