だろう(注10)。2.アトリエ船1873年頃、モネは船に木造の小屋を取り付けて、水上での制作を可能にするアトリエ船を入手した(注11)。水上に浮かぶアトリエのアイディアは、ドービニーが1857年から使用していたアトリエ船「ボタン号/ボッタン号」に負うものである(注12)。モネは1927年に『ル・タン』紙に掲載された記事にて、次のように述べている。実り多い売上で得た収入により、船を買うのに十分な資金を手に入れることができた。その船に、ちょうど自分のイーゼルを立てられるくらいのスペースを確保できる木造の小屋を取り付けた(注13)。後年の述懐ではあるが、「実り多い売上」は1872年、1873年のデュラン=リュエルによる作品のまとまった購入と考えて間違いないだろう。アトリエ船の写真は残っていないものの、外観はモネの《アトリエ船》〔図2〕(1874年、オッテルロー、クレラー=ミュラー美術館蔵)や、1874年の夏にモネを訪ねたマネによる《アトリエ船で制作するモネ》〔図3〕(1874年、ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク蔵)がよく伝えている。黒い船体の上に背の高い箱型のアトリエ小屋が取り付けられ、船首側には観音開きのドアが、側面には小窓が開けられている。ドービニーのアトリエ船とモネのアトリエ船の使用方法には相違点もある。先行研究でも指摘されているように、ドービニーはアトリエ船を主に取材地から取材地へと航行する移動手段として使用したが、モネは専ら自身の居住地であるアルジャントゥイユ近辺の川面に船を浮かべて、時には浅瀬に停泊させながら作品を制作した(注14)。また、ドービニーの船のアトリエが生活できるほどの広さを備えた空間であるのに対し〔図4〕、モネのアトリエ船は『ル・タン』紙の記述からも推測されるように、イーゼルがやっと置ける程度のコンパクトな船であった。モネはこの船を1878年にアルジャントゥイユを去ってからも所有しており、1880年代にヴェトゥイユで描かれた作品にもその姿を認めることができる(注15)。3.描かれたアトリエ船モネは、アルジャントゥイユ居住期間に、ある時は主題そのものとして、またある時は点景として、アトリエ船を自らの作品に描いた。作例の一覧は〔表1〕の通りで― 102 ―― 102 ―
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